内田樹のジャーリズムについて・談・・・・by :現代ビジネス

「「腐ったマスメディアの方程式」君たちは自滅していくだろう」という
いささか刺激的なタイトル。


内容は、すごく当然の指摘ばかりで、同感します。
全文は、リンク元であたってください。
わたしの感想を加えて、要点をつまみながらご紹介します。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1307
「腐ったマスメディアの方程式」君たちは自滅していくだろう」


■先がない業界


内田樹氏の著書『街場のメディア論』(光文社新書) 日本のメディア業界は、
新聞も、図書出版も、テレビも、きわめて厳しい後退局面にあります。
ビジネスモデルが、一変してしまいました。
とにかくもう業界的には「先がない」状態だと思います。お気の毒ですけど。


 その最大の原因は、ネットの台頭よりもむしろ、従来型マスメディア自身の
力が落ちたこと、ジャーナリストたちが知的に劣化したことで、そのために
メディアそのものが瓦解しようとしているのだと思います。


(そのとおり。新聞テレビは、そのことをよ〜く自覚しなければいけない。)


 先日の民主党代表選の報道でも、とても気になったことがありました。

 菅直人総理はじめ、政治家のぶら下がり取材をしている記者たちが、とに
かく若い人ばかりなんです。

 20代から、せいぜい30代前半まで。ちょっと前までバラエティ番組で司会
をやっていたようなアナウンサー出身の記者までいる。

 政治というのは経験の函数ですから、それだけ若い記者が政治イシューに
ついて深い洞察を含んだ質問をすることなど、できっこないですよね。


(そのとおり。いわゆる記者クラブに集っている記者たちって、みんな若い
のではないか? 昨春以来、民主党ウェブで記者会見ビデオをしばしば見て
いるが、みんな声が若い。お父さんみたいな小沢一郎に、息子・娘みたい
な記者が、「説明責任」とか政治資金規正法違反とか質問している。

お父さん世代小沢一郎は、君たちは若いから知らないだろうが、と政治資金
法成立の経緯を説明してあげたり、している。

無知な若い記者の鈍い質問に、へきえきする小沢一郎。こういう場
面は何度も見た。


内田氏は、こういう若い記者に定型文を教え込んでそのとおりに書かせて
おけば記事は足りるから、現場の取材が若い記者ばかりなのだ、と言って
います。これも、同感。へんに自分の頭で考え始める記者がいては、かえ
って困る、のでは?? とさえ疑う。)


(略)


 一方テレビは、「メディアを足蹴にして不機嫌な顔で立ち去る政治家」のよ
うな、感情に訴える画を常に欲している。

 落ち着いて縷々政見を語るとか、その政治家の本音のようなものはシャット
アウトして、ただひたすら感情的な場面ばかりを伝えようとする。

だからテレビの政治記者は、トンチンカンなことを平気で聞ける図々しさが必
須ということになってくるんでしょう。政治家がそれに怒ってくれたら、思う
つぼなんです。


(そのとおり。とにかく、扇情的。B層相手にはこれがいちばん、という
のだろうが。)


(略)

 いまの報道は、「浮き足立て」、「興奮しろ」、「取り乱せ」ということを
要求し、平静にやっていると、「緊張感がない」と怒り出す。冷静に物事の真相
を見ようという姿勢とは程遠い。

失礼ですが週刊現代も、その例外ではありません。


(まったくそのとおり。週刊現代は取材相手かな?)


■君たちの手は汚れていないか

(略)

「自分の手は汚れている。カネ儲けのために、若干、あざといことをやっている」
と噦犯意器があればまだマシですが、一番怖いのは、「自分の手は汚れていない。
自分は正しい」と思いこんでいる人たちです。テレビのなかでニュースキャスタ
ーたちが、


「こんなことが許されていいんでしょうか」


 と眉間に皺を寄せるシーンがしばしばあります。私にはこれがどうにも許容でき
ない。この発言には、自分はこんな酷い事態にはまったく関与していませんよ、と
いう暗黙のメッセージが含まれている。自分が無垢であることを装う演技性が、
どうにも我慢できないんです。


(略)


私自身は、民放テレビ局の番組を見ることはほとんどなくなってしまいました。
とにかく音がうるさくて、出演者たちの声が癇に障ります。おそらくCMの音量が
上がっているので、それに併せて番組の音量も上げているのでしょうが、まった
くの悪循環。


 民放は、そういう作り手の配慮の足りなさが際だっています。周りの人との会
話でも、民放の番組が話題になることはまずありません。


 その点、最近のNHKは、ターゲットをかなり限定した番組作りをしているように
思います。ときには、「この番組は数万人見てくれればいい」と割り切った番組
作りをしている。


 だから、マスメディアなんだけれども、部分的には、「数千人から数十万人程
度の規模の特定層に向けて発信される情報」であるミドルメディア的な機能を有
しています。結果的には、それがすごく成功しているような気がします。


(最大公約数をとる視聴率至上主義はもうだめだということですね。というより、
B層あつかいがそもそも見破られているんでしょう。大衆は簡単に操作できると
思っているでしょうが、そしてそういう側面もあるでしょうが、じつはなかなか
そうではない。また、視聴者をB層あつかいすることによって、メディアそのもの
が内部から崩落していっている。そのことに気づかなければ、ほんとに「自滅
してゆくだろう」でしょう。)

■売れない理由

(略)

ヨーロッパから日本に帰ってくると、新聞のレベルがいきなり急低下してしまう
ので、本当にガッカリします。『ル・モンド』や『ガーディアン』は日本の新聞の
ように巨大な読者数ではなく、リテラシー(読解力)の高い少数の読者を想定し、
それに向かって発信しているから、ずっと高いクオリティが維持されている。


 それでも経営的には厳しい状況にあることはたしかですが、日本にも、少数な
がら強いサポーターがついているクオリティペーパーのような新聞が必要でしょう。


(略)


いま出版社は、「本が売れなくなった」と大騒ぎをしています。図書館に配本す
るのを規制しようとか、ネット上に流出するのを防ごうとか、新古書店を敵視した
りしていますが、根本的に出版メディアの側に欠如しているのは、読み手に対する
リスペクトだと思います。


 著作権に対する出版社の発想は、無償の読者を読者としてカウントしていませ
ん。それどころか、「盗人」として捉えてしまっている。僕に言わせれば、
「図書館で本を読まれたら、おカネが入らないので大損だ。だから、図書館には
なるべく本を配るべきじゃない」と考える人には、物書きの資格はありません。
図書館は出版文化の支え手です。それを敵視するなんて言語道断です。


 物書きや出版社にとってまずは高いリテラシーを持った読者層を、いかに形成
するかがすべてのスタートなんです。


 どんな人もまず無償の読者として出発し、長い時間、場合によっては20年以上
をかけて有償の読者に変化します。カネを払わずに本を読み続ける行為を通して
リテラシーを形成し、その後にはじめてカネを出して本を買うという行為が始ま
るわけです。


 出版メディアは、そのプロセスにこそ投資をしなくてはいけません。いまの
日本の出版危機というのは、その読者層の形成に対して、十分に配慮してこな
かった結果なのではないでしょうか。(談)


(そのとおりだ。パチパチパチ(拍手) 無一文の南方熊楠は、大英博物館にこもり
きりだった。アメリカから渡ってきた無名のイサドラ・ダンカンは、ロンドンに
ついて大英博物館ギリシャの壷や彫刻の踊る女たちの絵を見るために通いつめ
た。貧乏な樋口一葉は、上野の図書館に通った。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・