2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

経験の検証

どういうわけか、私たちは<経験の検証>ということが下手だ。<経験>の意味を知の光のもとに考え通す、ということをする人はまれである。そのぶんあたりの情勢には敏感であり、目先にちらちらするものに賛否両論となえつつ一斉になだれ込んでゆきがちでも…

鈴木邦男の本

いま、午前七時五十分。熊日新聞書評欄に「阿木津英が読む」というコラムを、三ヶ月に一回くらい書いているのですが、今回は鈴木邦男著『愛国者の座標軸』作品社をとりあげて、たったいま、なんとか終わったところです。 鈴木邦男と言えば、右翼団体「一水会…

知っておきたい

2006年4月に、東京都教育委員会が、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行なわないこと」という通達を、各都立高校の校長に出したそうです。 今年は2008年、すでに2年間にわたって、都立高校…

痴愚神

わが脛(はぎ)に つむりを載せて 鼾(いびき)する 痴愚神(ちぐしん)ひとり テーブルの下 わが脛につむりを載せて鼾する痴愚神ひとりテーブルの下 歌集『巌のちから』より

ワンダーなんかいらない・・・・・穂村弘と佐藤嘉洋

日曜日、パソコンの前につみあげた紙きれ類を整理していましたら、古い新聞切り抜き(破り抜き?)が出てきました。一枚が、東京新聞(うちはずっとこれなので)二月二日付け「土曜訪問」欄の穂村弘さんのインタビュー。 穂村さんの『短歌の友人』について、…

近藤芳美のこと

あれは、おそらく、昭和五十一年一月の新年歌会だったのではないか。会議室に、コの字形に机が並べられていた。 歌評は、『未来』掲載歌のなかから選んで行なわれたが、せっかく九州から来たのだからと、誰かの懇切なすすめで、わたしは休憩時間に黒板に一首…

発砲スチロール

秋津川の写真は、削除しました。 手前に、発泡スチロールの白が目立って、気になってたまらないから。 あの川岸は、昔、犬といつも散歩した道です。 ひろがった田圃には、雲雀がそれはもううるさいくらいに鳴きます。 あの秋津川の向こうに木山川というのが…

鱏はエイ

鱏の文字が、つぶれてよく見えませんが、魚へんのエイです。 日記というものが続いたためしがない。まれに書くと、つまらぬことを書いて後悔する。だから、このブログをつくるにあたって、日記だけは書くまいと決心しています。 にも関わらず、何かもぞもぞ…

歌の出会い

出会うということは、難しい。それは、神さまの玉突き遊びのようなものである。さまざまな偶然が一致して、同じ時間と空間を共有しなければこの世の人との出会いはないが、しかし鼻面つき合わせて十年つき合ったって、出会わないままであることもしばしばな…

Aのつぶやき−−穂村弘著『短歌の友人』

穂村弘さんの新しい評論集『短歌の友人』を、恵投たまわってすぐに開いた。で、びっくりしたんです。そのまま閉じたのは、なぜだったか。今朝、どういうわけか珍しいことに暗いうちから目が覚めて、本を漁っているうちに、「友人」にふたたび出会い、またま…

Aのつぶやき・補

ある作家がどういう作家であったか、二、三行で言い取ることは、とてもむずかしいことです。しかし、だからこそ、作家の核心をつくことばを探すたのしみもあるし、また読むたのしみもあります。 「斎藤茂吉の歌を支えているものを、私は生のかけがえのなさの…

柔らかなこころのために

歌を作りはじめてから、三十年を過ぎました。一九七四年、児童相談所の心理判定員として勤務していた二四歳のとき歌に出会い、ついにここまで来てしまいました。歌を生活の中心に据えるという生き方は、否応なく「清貧」たらざるを得ないのですが、そういう…

猫一首

テーブルの下なる猫に足の裏あてつつ昼の時傾きぬ 素足がこころよい五月も、ときにうすらつめたい日がある。テーブルのしたに丸くなって眠り惚けている猫の、ふくふくした腹のあたりに無遠慮に足をつっこんだり、背中のがわから足のつま先を押し入れたりしな…

(2) うたごころ

暑い。秋口に入ってようやく夏らしい今年の暑さだが、湿度がとれない。むっとした生ぬるい風が路上をたちのぼる。 子どものころの、夏の朝の気持ちよさといったらなかった。どういうわけか、いつもに似ず、誰よりも早く目が覚める。寝ていてもいいのに、起き…

(1) 奇妙なレッスン

わたしの棲んでいる窓のすぐ外には、遊歩道が通っている。蛇崩(じゃくずれ)川という、蛇の出てきそうな街川が流れていたのだそうで、それをコンクリートで覆って暗渠にし、植え込みをして、人々の散歩道にしたのである。ここに棲みついてから、もう十年を越…