保存版・福島第一原発事故関連

朝日新聞の吉田調書スクープによって、当時の原発事故関連の情報がふたたびいろいろ出ています。
記憶しておくべき保存版をここに少し集めておきたいと思います。


朝日の吉田調書はここ。もちろん、すでにお読みになっていることでしょう。
最後まで公開されています。


http://www.asahi.com/special/yoshida_report/



ourplaneTVtの編集した東電テレビ会議です。危機的状況が生の声でせまってきます。
吉田調書と合わせて聞くといいと思います。


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OurPlanetTVは、東京電力福島第一原発事故直後の生々しい現場を記録した「­東電テレビ会議」映像を約3時間半に編集し、映像ドキュメント『東電テレビ会議〜49­時間の記録』を制作。全国にDVDの貸し出しを行っている。この度、その中で、特に3­・2号機のベントや被曝シュミレーションなどに関する場面と情報統制に関する場面を2­5分に再編集し、ネットにて公開することとした。
 
今回、編集したのは、2011年3月12日深夜から15日未明にかけての音声付き「テ­レビ会議映像」。一般公開されており、編集が可能な10時間のフッテージを25分にま­とめた。13日の段階で、3号機の圧力が上昇し放射能放出の恐れがある中、本店の緊急­対策室にいた高橋フェローが深刻な事態をプレスに公表してはどうかとテレビ会議で提案­。これに対し、オフサイトセンターにいた武藤副社長や福島第一原発にいた吉田所長も同­意するものの、官邸や保安院から公表を止められる勝俣会長も事態を楽観視し、「国民­を騒がせるのはどうか」と公表に反対していた。
 

翌日3月14日。福島県は午前9時からの関係部長会議で、事態を公表する予定だったが­、政府(保安院)の強い要請で東電が情報提供を中止。その2時間後に3号機が爆発に至­る。爆発後、福島県の佐藤知事は、東電に対して「健康に影響はない」とプレス発表する­よう働きかけていた事実も記録されている。同映像は、朝日新聞が5月20日(火)から­連載を始めた、いわゆる「吉田調書」(政府事故調吉田昌郎元所長の聞き取りをまとめ­た調書)の証言と重なる部分も含まれている。

詳細はこちら http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1781

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以下は朝日の吉田調書です。
「わたしは会社の安全屋は全然信用していない」と。
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吉田「今から思えばそうでしょうと思いますけれども、前の段階に返ったときに、AMのいろいろな仕組みを考えた人たちがそこまで考えていたかというと、まったく考えていなかっただろうと言いたいだけの話です。AMの連中は、後からがやがや言うんですよ。私はこの会社の安全屋は全然信用していない」 (中略)


——— 頭では海水を入れるという可能性も認識していることはしていたけれども、実際に、本当に海の水を最後に入れることになるというふうに考えていない?
吉田「ないですよ。もしも考えていれば、それこそ海の水を吸い上げるようなラインを別に設計しておくべきです。3号機のバルブピットのところにたまった津波の海水をまず水源として使うだとか、現場の工夫だけでやってきたわけですから、事前のアクシデント・マネジメントをデザインして決めた人は誰も考えていないですよ。私から言わせれば、形だけ検討しているんですよ。私だって、大元を決めていないけれども、それに従って発電所の運営して、所長もやっているわけですから、そこに思い至らなかった自分は非常に恥ずかしいと思いますけれども、最初にそれを想定していろんな仕組みを考えた連中の中に、本当にそこまで覚悟を決めて検討した人がいるかどうかというと、いないと思います」


消防車を使うこと、および海水を使うこと。吉田のこの二つの創意について、政府事故調はあまり評価していないことが、聴取の流れから読み取れる。
 事故調としてはやはりアクシデント・マネジメント策に従うことが最善で、それができないのはアクシデント・マネジメント策が不備だったからだという整理をしているように見える。
 しかし、実際、過酷事故と向き合った吉田にとっては、そんなことはどうでもよかったようだ。
 吉田は、アクシデント・マネジメント・ガイドを開いて見たとか参考にしたことはあるか、との質問に「まったくないです」「私は開いていません」と答え、逆に人による事前の想定などいかに役に立たないものであるかを説いた。


 吉田はまた、日本の原発は、故障に関しては内部事象優先で設計されており、津波や竜巻、飛行機の墜落、テロといった外部事象によって複数の原発が同時に故障するとは考えていなかったと説明した。
 こうした考え方は、2007年の新潟県中越沖地震柏崎刈羽原発において複数の原発が同時にやられるという事象が起きた際に改められる機会を得たが、原子炉がすべてうまく冷却できたことで、逆に「正しかった」とされてしまったと主張した。
 人がおこなう想定は「経験の範囲」でしかできないとし、きちんと想定してあらかじめ文字にしておけばうまくいったのではないか、などというのは後からだから言える話だ、とも主張した。
 吉田が述べたこれらの観点は、将来に向けた議論に資すると思えるが、政府事故調査・検証委員会の報告書からは読み取ることはできない。(文中敬称略)
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小出さんの参議院での証言。
当時、東京の空間線量が、チェルノブイリで飛んできたときの数百倍、数千倍になっていることを公表
しようとしたところ、上司から抑えられたと。
東京で無用の被曝した人は多いでしょう。


2011.05.23 参議院 行政監視委員会 抜粋
参考人 小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教

【発言要約】
2011年3月15日、福島原発事故時に東京の空気中の放射能濃度を調査した結果、1­986年のチェルノブイリ原子力発電所事故時に東京に飛んできた放射能の何百倍、何千­­倍も強い放射能が福島から東京に到達していた。
私が検出したのは、ヨウ素テルルセシウムという放射能です。

そう言う放射能が東京の空気中に1㎥あたり数百ベクレルあった。
それはチェルノブイリ事故のときに東京­に飛んできた放射能と比較すると約1000倍­くらいの濃度でした。
それを東京の皆さんは呼吸で吸い込んでいた。
それを内部被曝に換算すると1時間で20マイクロシーベ­ルトくらいになってしまうほ­どの被曝量であった。


発言全容は下記リンクよりご覧になれます。
小出裕章 原子炉研究者の原発批判!行政監視委員会 2011.05.23
http://www.youtube.com/watch?v=vYgQoi...
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それから、こんな報道があったのをご記憶ですか。
誰か魚拓をとっていたらしくて、ツィッターで回ってきました。
これだって、ぞっとしたものですが、すぎてしまえば忘れる。いったいこの高濃度汚染された
数百、数千の遺体はどうなったのでしょう。
全員が津波で無くなったのか、急性被曝で亡くなったのではないのか、という疑問がツィート
されていました。


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http://www.47news.jp/smp/CN/201103/CN2011033101000278.html
20キロ圏に数百〜千の遺体か 「死亡後に被ばくの疑い」
主要社会2011/03/31 14:02:02【共同通信


福島第1原発事故で、政府が避難指示を出している原発から約20キロの圏内に、東日本大震災で亡くなった人の遺体が数百〜千体あると推定されることが31日、警察当局への取材で分かった。27日には、原発から約5キロの福島県大熊町で見つかった遺体から高い放射線量を測定しており、警察関係者は「死亡後に放射性物質を浴びて被ばくした遺体もある」と指摘。警察当局は警察官が二次被ばくせずに遺体を収容する方法などの検討を始めた。当初は20キロ圏外に遺体を移して検視することも念頭に置いていたが、見直しを迫られそうだ。


 警察当局によると、高線量の放射線を浴びた遺体を収容する際、作業する部隊の隊員が二次被ばくする可能性がある。収容先となる遺体安置所などでも検視する警察官や医師、訪問する遺族らに被ばくの恐れが生じる。
 遺体は最終的に遺族か各市町村に引き渡すことになるが、火葬すると放射性物質を含んだ煙が拡散する恐れがあり、土葬の場合も土中や周辺に広がる状況が懸念される。
 警察当局は現場での除染や検視も検討しているが、関係者は「時間が経過して遺体が傷んでいるケースは、洗うことでさらに損傷が激しくなり問題だ」と指摘している。
 身元確認のため、遺体から爪だけを採取してDNA鑑定する方法もあるが、爪も除染する必要があり、かなりの手間と時間がかかるという。
 27日に、大熊町で見つかった遺体は、除染が必要な基準の一つである10万cpm(cpmは放射線量の単位)まで計ることができる測量計の針が、振り切れる状態だったという。このため福島県警の部隊は遺体の収容を断念している。

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近頃、電車に乗っていると、液晶画面でやたらと福島の「平和」を宣伝しています。
宣伝で、ミゼラブルな事態にもバラ色に・・・・・・ばかにするなと言いたい。