特別会計の大黒字・・・・マスコミによる財政危機キャンペーン

今朝方のとくらたかこさんのtweetです。



tokuratakako NHKで山岡さんが、国の借金と言われているものの半分は
二重計上であることを説明。本当は400兆円くらいなのだと。
これまで財務省
の財政危機を煽るキャンペーンにやられてきた国民は?と感じるでしょうね。
もっともっとこのことを説明してほしい。http://bit.ly/97LRqc


このアドレスのところに飛んでみましたら、以下のような「経済コラムマガ
ジン」というブログの過去記事。必読ですね。
1990年代以降の日本経済情勢が詳しく分析されています。



経済に明るい方、関心ある方、ぜひお読みください。
わたしにはよくわからないが、政府+マスコミで財政危機キャンペーンをはった
時期が、過去二回あるという。下はその第一回キャンペーンについての記事です。


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http://www.adpweb.com/eco/eco601.html
第一回目キャンペーン
10/2/1(601号)


財政再建運動とその節目

先週号で、少なくとも今まで、騒がれているほどには日本の財政に問題がなかった
ことを説明した。しかし筆者の観測では、これまでマスコミを通じ日本の財政が危
機という大々的なキャンペーンが張られたことが2度
ほどある。最初のキャンペーン
は、先々週号で取上げた鈴木善幸首相の「財政非常事態宣言」が出された頃である。
この時には公債の発行残高が100兆円に迫っていた時期であった。


二度目は、本誌がスタートした96年から97年にかけたあたりで、第二次橋本
政権時代
である。橋本自民党は、行財政改革を掲げ先の衆議院選挙で大勝し
ていた。ちょうどこの頃、国と地方の長期債務残高が500兆円を越えそうに
なっており、新たなキャンペーンが始まった。財政再建運動はこのような
節目に会わせて行われてきた。


無責任なマスコミのキャンペーンであるから、10/1/18(第599号)
「財政非常事態宣言」の城内実衆議院議員質問主意書にあるように、
財政危機と騒いでいる割に根拠はとても薄弱である。例えば金利がジワ
ジワと上昇してきたといったような客観的で科学的な事実は全くない。
しかしこのようないい加減なキャンペーンであっても、大衆は動かされ、
最終的に政治も動く。


鈴木善幸政権時代前後に公債発行が増えた経緯は前述の10/1/18(第599号)
「財政非常事態宣言」で述べた。そして大平・鈴木・中曽根政権時代の行財政
改革(いわゆる増税なき財政再建運動)によって日本経済は間違った方向に動いた。



ゼロシーリングなどで財政支出の伸びが抑えられた。例えば整備新幹線の工事
も「三大バカ査定」の一つと罵られストップさせられた。しかし日本は既にデ
フレ経済に突入していた(後ほど触れるが、この事を指摘する者は少ないが重要
である)のに、財政支出を抑えれば経済が外需依存に傾くのは当然のことであった



またタイミングが悪く、当時のレーガン政権の間違った高金利政策(FRB議長はボ
ルガー)によってドル高・円安が続いた。したがって内需は緊縮財政で不振であっ
たが、輸出がどんどん伸びたので日本経済もそこそこ成長した。これによって人々
財政再建と経済成長が両立するといった錯覚に陥ったのである



このような外需依存となった日本経済に冷や水を浴びせたのは、85年の「プラザ
合意」による超円高であった。円相場は米ドルに対して220〜250円程度で長い間
推移していたが、短期間のうちに150円台(最終的には120円台)まで急騰した。
これによって日本は酷い円高不況に襲われたため、日本はこれを契機に方針だけ
内需拡大に大転換することになった。



しかし日本には財政再建にこだわる雰囲気が残っており、景気対策財政支出
はなく金融緩和にウエートを置いたものになった。この金融の超緩和が続き土地
ブームと株ブームが起った。いわゆるバブル経済である。
ところがこのようなバ
ブルがいつまでも続くはずがなく、最後にバブル経済は崩壊し、日本経済は今日
でもこの後遺症で苦しんでいる。しかしバブル生成の元をたどれば、「財政非常
事態宣言」などの非科学的な根拠による財政再建運動であった。



ちなみに中国は、日本のこの失敗を知っているから、どれだけ非難を受けようと
頑として人民元高を拒否している。一昨年まで人民元は少しずつ高くなっていた
が、昨年からは米ドルに完全にペッグしている。



公的年金の積立金の推移

筆者の持論は、オイルショックの後(75年頃)から、日本経済はずっとデフレが続
いているということ
である(これについては将来また取上げる)。つまり田中角栄
首相の列島改造ブームによるバブル経済が崩壊した頃から、日本のデフレはスター
トしたと考える。要因の一つとして大きな土地の売却代金が実物経済に回らず、
金融機関に眠ったままになったから
である。これについては04/10/4(第361号)
「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」から04/10/18(第363号)「日本経済
のデフレ体質の分析(その3)」の3週で述べた。



ここでは日本経済をデフレ体質に陥らせた要因は主に二つあり、その一つが土地
の売却代金と述べた。しかしもう一つの要因は年金の積立金と指摘したが、これ
についてはそれ以上ほとんど言及しなかった。


そこで今回、公的年金の積立金の推移をここに示す(この表は今後何回か使う予定)。

(積立額合計の推移 単位:兆円)
年度 積立金合計
78 36
95 162
96 171
97 179
98 186
99 193
00 196
01 195
02 197
03 197
04 198
05 193
06 191
07 188


この数字は厚生労働省のHPから拾ったものである。しかしHPには95年度以降
の数字しか掲載されていない。78年度の36兆円という数字は年金に関する他
のHPで見つけたものであり、多少信頼性に劣ることは承知している。しかし
敢てこの数字を使わせてもらう。



それにしても99年度までもの凄い勢いで公的年金の積立金残高は増えている。
78年度から99年度の21年間に157兆円も増え、年平均の増加額は7.5兆円であっ
た。民間の貯蓄に加え、政府はこのような巨額な貯蓄を溜めこんだのである(
特別会計の大黒字)。



しかもこれは公的年金の積立金だけであるが、これ以外に民間も私的年金
溜めこんできた。つまり日本では将来に備えて民間も政府も貯蓄してきたの
である。これでは消費が増えず経済がデフレから脱却できないのは当り前で
ある。また政府はこの不足する有効需要を補うための景気対策として、国債
を大量に発行してきたのである。
しかしこれだけ貯蓄が増えれば、金利が上
昇することなく、大量の国債がきれいに消化されるのも当然である。




最後に、82年の「財政非常事態宣言」が出された頃の財政状況を推定してみる。
手元に82年当時の公的年金の積立金の金額がないため、増加額の様子からこれを
推定するほかはない。筆者はこの数字を60兆円程度と推計した。また外貨準備高
は、240億ドル程度であり当時の為替レート250円で換算すると6兆円となる。



つまりOECDの基準による純債務を計算するための控除額は、筆者の推計ではある
が外貨準備と公的年金の積立金だけでも66兆円になる。たしかに国の債務総額は
100兆円に迫る公債に加え色々な債務があった見られる。しかし純債務の残高と
なればたかが知れている。つまり財政危機なんて全くの作り話であったのである。

ちなみに82年度のGDPは273兆円であった。



財政当局も国債が大量に発行されても、それを消化するに余るある貯蓄が一方
で発生していることを知っていたはずである。そしてこの巨額の貯蓄を土地投
機に誘導したことによってバブルが発生したと言える。後知恵ではあるが、当
時としては、地価の高騰を抑える施策と公的年金を増やさない政策を講じるべ
きであったと言える。



来週は、二回目の財政再建大キャンペーンを取上げ、さらにマスコミの財政危機
の基準が変わってきていることについて述べる。



読者のエコノミストの方から、先週号で記した日銀の国債保有額は69兆円(日経
新聞)ではなく、直近では73兆円に増えているという情報をいただいた。また国
の債務の名目GDP比率を104.6%(これも日経新聞)としたが、この出所がOECD E
conomic Outlook No. 86の付属表ということである。筆者としては、このような
情報は有難いものと思っている。


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う〜ん。何なのだ、これは。
今は、時間がないので、他の過去記事を読めないが、あとで読んでみよう。