狂ってしまった日本の言論の渦のなかで

twitterを眺めていましたら、今年四月の『中央公論』に掲載された、
オランダの比較政治学者カレル・ヴァン・ウォルフレン教授の論文
「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」を紹介しているtweetを見ま
した。すでに、ネットで読んだものですが、もう一度クリックして
何気なく眺めているうちに、嘆くような思いがされてきました。


全文は、ぜひ、リンク先で読んでいただきたいのですが、わたしが
嘆くような思いがされたというのは、次のような箇所を読んでです。


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http://www.chuokoron.jp/2010/09/post_33.html
日本政治再生を巡る権力闘争の謎
カレル・ヴァン・ウォルフレ
中央公論 2010年4月号掲載


(略)


日本の新聞は、筆者の知る世界のいかなるメディアにも増して、現在何が起
こりつつあるかについて、きわめて均質な解釈を行う。そしてその論評内容
は各紙互いに非常によく似通っている。かくして、こうした新聞を購読する
人々に、比較的大きな影響を及ぼすことになり、それが人々の心理に植えつ
けられるという形で、政治的現実が生まれるのである。


このように、日本の新聞は、国内権力というダイナミクスを監視する立場に
あるのではなく、むしろその中に参加する当事者となっている。
有力新聞な
ら、いともたやすく現在の政権を倒すことができる。


彼らが所属する世界の既存の秩序を維持することが、あたかも神聖なる最優
先課題ででもあるかのように扱う、そうした新聞社の幹部編集者の思考は、
高級官僚のそれとほとんど変わらない。


 いまという我々の時代においてもっとも悲しむべきは、先進世界と呼ばれ
るあらゆる地域で新聞界が大きな問題を抱えていることであろう。商業的な
利益に依存する度合いを強めた新聞は、もはや政治の成り行きを監視する信
頼に足る存在ではなくなってしまった。


(略)


長い間留守にした後で、日本に戻ってきた昨年の十二月から今年の二月まで、
大新聞の見出しを追っていると、各紙の論調はまるで、小沢が人殺しでもした
あげく、有罪判決を逃れようとしてでもいるかのように責め立てていると、筆
者には感じられる。


小沢の秘書が資金管理団体の土地購入を巡って、虚偽記載をしたというこの手
の事件は、他の民主主義国家であれば、その取り調べを行うのに、これほど騒
ぎ立てることはない。まして我々がいま目撃しているような、小沢をさらし者
にし、それを正当化するほどの重要性など全くない。しかも検察は嫌疑不十分
で小沢に対して起訴することを断念せざるを得なかったのである。なぜそれを
これほどまでに極端に騒ぎ立てるのか、全く理解に苦しむ。検察はバランス感
覚を著しく欠いているのではないか、と考えざるを得なくなる。


 しかもこのような比較的些細なことを理由に民主党の最初の内閣が退陣する
のではないか、という憶測が生まれ、ほぼ連日にわたって小沢は辞任すべきだ
という世論なるものが新聞の第一面に掲載されている様子を見ていると、たま
に日本に戻ってきた筆者のような人間には、まるで風邪をひいて発熱した患者
の体温が、昨日は上がった、今日は下がったと、新聞がそのつど大騒ぎを繰り
広げているようにしか思えず、一体、日本の政治はどうなってしまったのかと、
愕然とさせられるのである。


つい最近、筆者が目にした日本の主だった新聞の社説も、たとえ証拠が不十分
だったとしても小沢が無実であるという意味ではない、と言わんばかりの論調
で書かれていた。これを読むとまるで個人的な恨みでもあるのだろうかと首を
傾げたくなる。日本の未来に弊害をもたらしかねぬ論議を繰り広げるメディア
は、ヒステリックと称すべき様相を呈している。


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昨春以来の報道は、狂気の沙汰です。
ウォルフレン氏の「長い間留守にした後で」日本の新聞を見ているときの
この感想こそ、正常な感覚というものです。


わたしは、小沢一郎氏を大いに弁護しますが、しかし弁護するとかしないとかの
前にこのメディアの狂乱ぶりがどうにも耐え難い。
小沢一郎氏が政治家としてどうなのかということは、じつを言ってとくに最初は
よくわかりませんでした。
いまだって、わかったとは断言できないと思う。


でも、狂乱メディアがターゲットにしているものには必ず弁護すべき価値があります。
その一点のみは、真理だ。疑いありません。


それが身の回りの人にはまったく通じないのですね。
どんな良識派でも、小沢はやっぱり・・・という。
ネットで情報をとっているというと、何かいかがわしいことでもしているかのような
目つきで見る。ガセネタばかり信じ込んじゃっておかわいそうに、というわけです。


あの昭和初期、こんなふうにしてじわじわと戦争の泥沼に入りこんだのかとつくづく
実感されます。
文学者や言論人の戦争責任ということが論じられますが、これは昔の時代の話
でも、過去の人のことでもない。今、自分に問われていることなのです。


比較政治学者としてのウォルフレン氏は、じつは上の二つの引用の間に、小沢氏に
ついて以下のように述べています。




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小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりである
ことは疑いない。ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在しない。
政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、
アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない。


 小沢はその独裁的な姿勢も含め、これまで批判され続けてきた。しかし幅広く読ま
れているメディアのコラムニストたちの中で、彼がなぜ現在のような政治家になった
のか、という点に関心を持っている者はほとんどいないように思える。小沢がいなか
ったら、果たして民主党は成功し得ただろうか?


 民主党のメンバーたちもまた、メディアがしだいに作り上げる政治的現実に多少影
響されているようだが、決断力の点で、また日本の非公式な権力システムを熟知して
いるという点で、小沢ほどの手腕を持つ政治家は他には存在しないという事実を、
小沢のような非凡なリーダーの辞任を求める前によくよく考えるべきである。


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このウォルフレン氏の小沢評価を、わたしは判断するすべを持ちません。
この評価がたんに、過大評価に過ぎないのか、ちょうちんもちなのか、あるいはじつは
親しい関係でもあって友情に目くらましされているのか、それはこの記事全体を読み、
あるいはウォルフレン氏の他の書き物をも読み、その信頼度で、わかってくることで
しょう。
とにかく、ある比較政治学者がこのような評価をしている、ということは知っておい
ていいと思う。



また、以下の植草一秀氏の今日のブログ記事も、とてもまともな道理を言っています。
引用しておきます。




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小沢一郎民主党元代表が批判される理由は皆無
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-32f7.html



日本が狂っている。

常識がまったく通用しない状況が発生している。

 
2009年3月3日から1年半しか経っていないが、不正が堂々とまかり通るよう
になった。
 
 いつか、時空のずれが修正され、正規化するのだと思われるが、現在が異常である
ことを明確に認識し、この認識をできるだけ多くの同志と共有しなければならない。


 
 昨年3月3日に何があったか。小沢一郎民主党代表の公設第一秘書が突然逮捕され
たのだ。
 
 この逮捕がなければ、昨年8月30日の総選挙を通じて小沢一郎政権が誕生してい
た。小沢民主党は参院選にも勝利し、いまごろは政権運営が本格軌道に乗ったころだ
っただろう。

 
 3月3日に逮捕された大久保隆規氏。被疑事実は虚偽記載だった。
 
 新政治問題研究会、未来産業研究会からの献金を事実に即して収支報告書に記載
したことが、「虚偽記載」だとされた。資金の出所が西松建設だから「西松建設」と
記載しないと「虚偽記載」だとされた。
 
 多数の資金管理団体が同じ処理をして、大久保隆規氏一人だけが逮捕、起訴された。

 
 ところが、本年1月13日の第2回公判で、二つの政治団体に実体があることが
明らかにされた。したがって、収支報告書には「西松建設」ではなく、二つの政治
団体名を記載しないと「虚偽記載」になることが判明した。

  大久保隆規氏の逮捕は誤認逮捕だったことが判明したのだ。


 
 しかし、この特ダネをその重大性に見合う大きさで報道した報道機関がひとつ
でもあったか。答えはNOである。ほとんどの国民はこの重大情報を知らない。


 
 本年の1月15日、次の暴走が行われた。石川知裕衆議院議員大久保隆規氏、
池田光智氏の三名が逮捕された。2004年、2005年の収支報告に虚偽記載
があるとの容疑だった。

 
 しかし、よく調べてみると、犯罪など何ひとつ存在しないことが明らかになっ
た。陸山会が不動産を取得したのは不動産移転登記が実現した2005年1月で
収支報告書の記載は正しい。

 
 土地購入代金を小沢一郎氏が銀行から借りて、陸山会に転貸したが、これも
2004年収支報告書に記載されている。
 
 2004年10月と2005年1月のずれは、農地の所有権移転登記に時間が
かかったことによる。
 
 細かな問題で、解釈の違いはあるかも知れないが、小沢氏の資金管理団体
よる収支報告に犯罪性は認められない。
 
 誰がそう調べても結論はひとつしかない。


 
 メディアが問題にしているのは、小沢氏が立て替えた4億円のなかに、不正な
金が混ざっているのではないかとの疑惑である。
 
 検察もここに焦点を合わせたようだ。その結果、検察は壮大な規模で強制捜査
を行った。家宅捜索も何度も実行したのだ。
 
 しかし、この問題は何も立件できなかった。



 刑事問題の取り扱いで一番大事なことは、冤罪を生まないことだ。
 
「10人の真犯人を取り逃がしても、一人の無実の人間に罪を着せてはならない」
ことが、刑事事件取扱いの鉄則だとされる。それほど人権は重いものなのだ。
 
 つまり、メディアは憶測で発言するが、小沢氏に疑惑はないのである。


 
 この問題が解決すれば、あとは問題が仮にあったとしても、形式的な問題であ
る。刑事問題として騒ぐ理由は皆無である。
 
 こんなことは、常識力のある人間なら、誰でも分かることだ。


 
 それにもかかわらず、検察審査会が騒ぎ、メディアが騒ぎ、小沢氏の「政治
とカネ」とまだ騒ぎ続けている。
 
 これを異常と思わなければ、頭をやられている。

 
 本年1月15日の秘書3人逮捕も、狂った逮捕としか言いようがない。
 
 この問題を取っかかりとして、闇献金や賄賂が立証されたのなら、「政治と
カネ」と騒いでもおかしくないだろう。しかし、闇献金や賄賂については、
検察が調べに調べ抜いた結果、不正はないとの結論に至っているのだ。
 
 メディアがまともなら、この点を詳細に調べて報道するはずだ。


 
 単なる憶測で、「怪しさを消すことができないから起訴」を市民目線だとし
検察審査会の起訴を認めるなら、冤罪を防止することの重要性など吹き飛ん
でしまう。

 
 市民が怪しいと感じた人は、全員起訴されることになる。極端に言えば、
1億人が起訴されることになる。

 
 市民が怪しいと思う人を刑事告発し、検察が不起訴を決めたら検察審査会
で2度起訴相当を決議すればよいのだ。


 
 このような不正な方法で、日本政治は根底から歪められているのだ。本来
ならば、いま、小沢一郎政権が日本を統治しているのだ。それを、わけのわ
からない理由で、小沢一郎氏は起訴に持ち込まれようとしているのだ。
 
 ここまで現実が常識と離脱したことを私は経験したことがない。


 
 驚くべきことは、NHKを含む日本のマスゴミがすべて足並みを揃えている
点にある。正確に言えば、日刊ゲンダイ週刊朝日週刊ポストなど、正論を
示すメディアが皆無というわけではないが、NHKや大手メディアの偏向ぶり
は常軌を逸している。


 
 米官業の支配勢力のうち、もっとも強い影響力を発揮しているのは米国だろ
う。小沢一郎氏を死に物狂いで抹殺しようとしている。


 (以下略)

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