フリージャーナリストが、記者クラブと闘っている。
日本の記者クラブ制度というのは、世界でもめずらしい閉鎖的な慣習だそうですが、
この「情報独占+政治・司法・官僚との馴れ合い」制度に対して、ことにtwitterというツールができて以来、フリージャーナリストは果敢に闘っています。
わたしたちは、twitterによってはじめて、上杉隆や岩上安身というフリージャーナリストの存在を知り、記者クラブ制度の問題を知り、そして報道の裏側を知るようになりました。
民主党政権になって以来、記者会見オープン化をめぐって、記者クラブ側とのもみ合いが続いていますが、ついにしびれをきらしたフリージャーナリストたちが、この正月から一歩踏み出した闘いをしています。
一つは、片山総務大臣の記者会見を畠山フリージャーナリストが、ゲリラ的にustreamで録音録画中継しました。同じくフリージャーナリストの田中龍作ジャーナルから。
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http://tanakaryusaku.seesaa.net/index-3.html
ついに激突! 記者クラブVSフリージャーナリスト
知る権利を隠れ蓑に情報を独占する記者クラブと取材活動の自由を求めるフリー記者の対決は、開始のゴングが打ち鳴らされた。5日、総務省の会見室でデスマッチが始まったのである。この日は原口一博・前総務相のリーダーシップで記者会見がオープン化されてちょうど一周年にあたる。
オープン化といっても名ばかりで規制とご法度だらけだ。牢名主のような記者クラブのご意向により、フリー記者は▼質問権の有無が分けられ▼動画撮影・中継が禁止されたりする。
フリー記者の畠山理仁氏は質問権の制限撤廃と撮影許可を求め総務省記者クラブ相手に一年間交渉を続けてきた。一年間じらしにじらされた挙句、記者クラブから出された答えは「撮影は許可できない」。携帯電話で事務的に通告された。質問権の制限については回答すらなかった。
(略)
片山善博大臣の会見が始まると畠山氏は切り出した――
「記者クラブが決めたルールを破って動画配信している私を大臣は以後『(会見室に)入れない』のでしょうか?」
ご法度を犯したフリージャーナリストを記者クラブ側が「出入り禁止」に処することを、畠山氏は見越しているのである。機先を制するのが質問の狙いだった。
畠山氏の告白に幹事社は色をなした。「私どもに(動画配信の)連絡はありませんでしたよねえ。どういった判断ですか?」。検察官が被疑者・被告を問い詰めるような口調だった・・・
(略)
記者クラブによる規制は理不尽であることは明らかだった。それでも威厳を保ちたいのが記者クラブだ。幹事社が言い放った。「記者会見はクラブ主催である以上・・・」。
正当性のない権威をカサにゴリ押しする態度だった。筆者は怒りで理性を失った。もともと理性的なタチではないが。
「あなたたちはジャーナリストでありながらジャーナリストの知る権利を奪って恥ずかしいと思わないのか?」と怒鳴った。
(略)
前回(5日)の記者会見でご法度のUst中継をし、お上(記者クラブ)に楯突いたフリー記者たちは、7日も記者会見に出席することにした。ただし個別がさみだれ的に会見室に行くのではなく、総務省が入る中央合同庁舎2号館の1階ロビーで待ち合わせた。
我々は「出入り禁止処分」となっても記者会見に出るつもりだった。記者クラブによってツマミ出されそうになったら、それをネット中継し映像記録にも残さなければならない。口で抗議する要員も必要だ。
「1個小隊」固まって行かなければ、フリー記者への弾圧は闇に葬られる。1階ロビーで待ち合わせたのは、そうならないための自衛策だった。畠山理仁氏はじめ5人はエレベータで8階の総務省記者会見室に向かった。
ところが記者会見場には拍子抜けするほどスンナリと入れた。狐につままれているようだった。入り口の掲示板を見て理由がわかった。張り紙に「緊急クラブ総会、7日午後1時から。テーマ『フリー記者の動画撮影』について」と書かれていたのである。
騒動となった5日の記者会見から2日間、記者クラブ側から音沙汰がないのはこのためだ。我々についての処分はまだ決まっていないのである。
結論は見えているのに「記者クラブ総会」を開くのは彼らにとって極めて重要な儀式だ。「クラブ総会で決まった」と言えば誰もそこから先は追及できない。記者クラブ総会が国権の最高機関といわれる所以だ。
(略)
この日午前の記者会見で畠山氏が行った質問が、記者クラブの逆鱗に触れたのである。畠山氏の質問は次の2点――
▼任意団体の記者クラブが記者室を家賃無料で使用しているのは、公有財産の目的外使用にあたり、憲法89条に違反しているのではないか。
▼公的機関から便宜供与を受けて国民の知る権利(参加資格、質問権の制限)を阻害し続ける記者クラブ制度についてどう考えるか。
片山総務大臣は「国民の皆さんは編集機能を持ったマスメディアを通じて情報収集をしている。記者クラブに一定の便宜供与をすることは合理性がある」と答えた。
筆者は元鎌倉市長の竹内謙氏が記者室をオープン化した例をあげて片山大臣に質問した―
「竹内市長は誰でも彼でもというわけではなく、報道に携わっている者であれば記者室を利用できるようにした。大臣が仰るように編集機能を持った人たちです。こうした方が大臣の政策を広く国民に報せることができるのではないか。新聞離れ・テレビ離れが進んでいることを考えたら大臣はタコつぼに向かって話しているようなものだ」。
片山大臣は「通信媒体も社会も変わり、いつまでも今まで通りで未来永劫いいとは思いません」と述べるに留まった。
(略)
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また、次は、フリージャーナリスト上杉隆氏の闘い。
新聞テレビは、ネットメディア発の情報は、情報元も明記せずにかってに編集して新聞テレビで流しますし、その取材現場にも当然のごとくカメラマイク持参でずかずかと乗り込みます。マスメディアが、マイクロメディアの情報を流してやる、というような力関係がそこにはあった。
しかし、小沢一郎がネット媒体を選んでインタビューに応じるようになったのをきっかけに、フリージャーナリストたちの反撃が始まったようです。
次の記事は、上杉氏が、記者クラブ所属のジャーナリストに閉めだしをくわせたというもの。
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http://diamond.jp/articles/-/10731
小沢一郎氏が「ニュースの深層」に生出演。
番記者の現場立ち入りを禁じた筆者の真意とは
■普通の感情を持った普通の政治家としての
小沢一郎を報じないマスメディア
「20年以上もマスコミからずっと批判されているとさすがに草臥れますよ。正直に言えば、永田町に行くのがバカバカしくて政治家を辞めたくなる時もあります。でも、そこで逃げたんじゃ、応援してくださっている地元の支援者にも申し訳ないと思って、がんばっております」
昨夜(1月11日)、筆者がキャスターを務める「ニュースの深層」(朝日ニュースター)に一時間の生出演を果たした小沢一郎氏は、番組冒頭、こう漏らした。
傲慢で恐ろしい権力者と呼ばれている小沢氏が弱音を吐き、素顔を見せた一瞬だった。
いや、実は小沢氏のこうした発言は決して珍しくない。小沢氏の記者会見に出ている記者ならば、普通の感情を持った普通の政治家だとわかるだろう。
実際、筆者の番組では笑い、嘆き、そして政治家として目指している夢を語った。
だが、その翌日にあたる今日12日、昨夜の小沢氏の姿を伝える記者クラブメディアの報道は一切なかった。小沢氏の語った政策は完全に黙殺され、その代わり、案の定ではあるが、政倫審の出席はいつか、などの小さな政局報道に終始している。
筆者は自分の番組をなぜ取り上げないのか、などというケチなことを言っているのではない。きちんと伝えない記者たちに心から失望しているのだ。
こうした現象は断じて小沢一郎という政治家の問題ではない。もはやメディアの報じ方の問題なのである。
最新版の『ニューズウィーク』(日本版)が次のような特集を組んでいる。
〈「だから新聞はつまらない」 横並びで一方的な報道は記者クラブだけのせいじゃない。現場主義と客観報道の盲信で記者の劣化が進んでいる──〉(2011年1月19日号、1/12発売)
まさしくこの特集がその問題の本質を指摘している。記者クラブ批判についての理解と「メモ合わせ」の事例などに、事実関係で間違いがあるものの、まぁ、総じて良質なリポートだといえよう。
問題は「横並びで一方的な報道」という文言に集約できる。
■小沢氏も筆者も憂うる
「横並びで一方的」な日本の病理
昨夜の「ニュースの深層」生放送開始30分前、出演者控室での小沢氏と筆者の雑談も、まさしく、この「横並びで一方的」という日本社会全体に蔓延る「意識」を話題にしていたのだった。
「怖がって、他人と違うことをしないようにというのが日本社会に蔓延る病理かもしれないね。他人と違うことをするとすぐ叩かれるから、結局みんな一緒のことをしようとする。こうした慣習をなんとか変えようとずっとやってきたんです――」
その政治生活の40年間で、小沢氏は世界中の政治家や官僚、経営者やジャーナリストたちと触れ合ってきた。その経験を語る中で、小沢氏は筆者にこう漏らし、日本社会の特異制とその限界について嘆いたのであった。
昨夜、小沢氏と筆者の発言を、スタジオ横の調整室でずっとつぶやいてくれていたのはフリーランスライターの畠山理仁氏だ。畠山氏のツイッターから、小沢氏のメディアに関する発言をいくつか抜き出そう。
〈小沢「なかなか、国民自身の政治意識が高くならないと、既存のメディアを敵にしたらとても政治活動はできないでしょうね」〉
(略)
■問題は、持論以外を一切排除する
“寛容さの欠如”にある
小沢氏の言う通り、今の日本社会、いや記者クラブメディアに欠けているのは、議論の場を作ろうという寛容さだ。
持論以外は一切排除し、自らの正当性ばかりを声高に主張する。それは狂信的であり、欺瞞に満ちている。
たとえば、この10年間、筆者が主張してきた「記者クラブ論」についてもそうだ。
筆者が言い続けてきたのは、「記者会見に出席したい」、それだけである。記者クラブに入りたいとも、記者クラブの記者たちの仕事を邪魔しようとも思ったことは一度もない。
仮に、その要求を、権力者である政治家や官僚が拒否すればなんら問題はない。反論権を放棄したとみなして、それまでに行なった取材の成果を原稿用紙にぶつけるだけである。
それは世界中で普通に行なわれているジャーナリズム活動である。
ところが、彼らは税金で賄われている政府の公的会見を、何の権限もなく不正に独占し、筆者の仕事の邪魔をしてきたのである。
この10年間、筆者は我慢に我慢を重ね、紳士的に交渉を続けてきた。だが、それも限界に達した。筆者は小沢一郎氏ほど我慢強くない。
■公的な政府の記者会見から
同業者を閉め出すという仕打ち
昨夜、朝日ニュースターに集まった40人ほどの小沢番の記者クラブ記者の控室、スタジオ、サブ調整室入りを拒否したのは筆者だ。
その代わり、フリーランスの畠山理仁氏と村上隆保氏だけに、スタジオ以外の自由な取材を許可した。よって、畠山氏のツイッターだけがCFや放送以外の雑談まで報じることができたのだ。
こうした措置を講じるのはもちろん初めてのことだ。こんなことは決してやりたくなかった。案の定、記者クラブの記者たちはその扱いに怒り、「ふざんけんな、上杉!」と陰で勇ましく悪口を言っていたという。
だが、これで分かっただろう。筆者はこれとまったく同じ仕打ちを10年以上受け続けてきたのだ。
しかも、それは自分の番組やプライベートな記者会見ではない。公的な政府の記者会見において、このような仕打ちを受けてきたのだ。
それでも怒りを抑えて、筆者は交渉を繰り返してきたのだ。
被害者になってみて、初めて自分たちのしていた恥ずかしい行為に気づいた者がいることを願う。ぜひ、記者クラブの記者たちはみずからの過ちに気づき、自ら行動を起こしてほしい。
新年の、しかし10年来のこの小さな願いは叶うだろうか。
あるいは今年もまた、取材する自由と権利を同業者が邪魔することだけはやめてくれ、といい続けなければならないのか。
小沢氏ではないが、「バカバカしくて草臥れる」不毛な争いは、もう止めようではないか。
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