福島第一原発から二キロ双葉町長インタビュー・・・   by フリージャーナリスト烏賀陽弘道

3.11一周年を前に、取材が殺到した福島県双葉町・井戸川克隆町長は、二月十一日土曜日午後から、
「テレビ」「新聞」「フリー」と3グループ別にして、インタビューを受けたという。


同一人物への同じ日のインタビュー、テレビ、新聞は、そのうち現われるだろう。
ごらんになった方は、それと、このフリージャーナリストのツィートとを比較してみてください。


フリーは、二人だけだったので充分な取材ができたという。
それにしても、驚愕する。


戦時、一般人はいちばん先に見捨てられるとは、物の本で知ってはいた。しかし、戦争だけで
はない。国家とは、一般人をいちばん先に見捨てる機関なのだと、痛感する。


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http://twilog.org/tweets.cgi?id=hirougaya&word=%E4%BA%95%E6%88%B8%E5%B7%9D

2012年02月12日(日) 48 tweets ソース取得:



福島県双葉町・井戸川克隆町長の話1)同町は福島第1原発が町内にある「立地自治体」。
町全体が立入禁止(警戒区域)になって全町民6400人が避難。練馬区くらいの大きさの町。役場は埼玉県加須市に移転。
きょう移転先役場で町長に会った。http://t.co/QZaeaIFL
posted at 01:13:12


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話2)移転先は埼玉県加須市、生徒が減って廃校になった
騎西高校をそのまま使っている。
なお500人弱の双葉町民がそのまま避難生活を続けている。そのありさまにも驚いた。
アパートなど借り上げ住宅に移っていない人もまだそんなにたくさんいるのだ。
posted at 01:14:52


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話3)3.11一周年を前に取材が殺到したため「
まとめて会見に応じましょう」という感じで
町長は土曜日の午後1時半から6時半までずっと質疑応答しっぱなし。
「テレビ」「新聞」「フリー」と3グループ別。頭が下がる。ありがとうございました。
posted at 01:16:21


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話4)「町民は、過去の歴史だけでなく、将来をも奪われてしまった。
これはどんな価値よりも大切なものを奪われたということです。
それは東京電力の補償など絶対に追いつかない」
posted at 01:17:51


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話5)新聞テレビは10数人集まっていたが、フリーは私ともう一人
しかいなかったので、かなりぜいたくな「半分独占取材状態」になった。ありがとうございました。
posted at 01:20:33


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話6)「どの方向に」「何で避難する」避難指示が国や県からなかった
ので、役場の前の旗を見て風向きを見て逃げる方向を判断せざるをえなかった
posted at 01:23:30


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話7) それまでの毎年の避難訓練は「電源が失われたが、
3時間くらいで復旧、冷却装置が作動」というシナリオだったので、まったく役に立たなかった。
posted at 01:23:54


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話8) 町民はやむなくバラバラにマイカーで逃げるしかなかった。福島県川俣町が避難を受け入れることを決めたので、防災無線で「とにかく川俣町へ」と必死で呼びかけた。
posted at 01:24:58


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話9) 12日、町民が脱出するなか、双葉厚生病院の前で入院者や近くの
老人ホームのお年寄りをバスに乗せる誘導をしていたら、最初の水素爆発が起きた。「ズン」という鈍い音がした。
posted at 01:26:33


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話10) 12日「ズン」という鈍い音がした。「ああ、とうとう起きてしまった」と町長は思った。数分して、断熱材(グラスファイバー)のような破片がぼたん雪のように降ってきた。
「大きなものはこれぐらいあった」と町長は親指と人差し指でマルをつくった。
posted at 01:28:30


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話11) 双葉厚生病院は福島第1原発から2キロしか離れていない。雪のように断熱材(?)の破片が降るのを、300人くらいの町職員や医師、看護師らが呆然と見つめた。町長は「これでもう終わった」と思った
posted at 01:30:22


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話12)福島第1原発から断熱材(?)が雪のように降り注ぐ光景を、町長は「それはそれは不思議な光景だった」と振り返る。「そういう映画にでも出てきそうな光景だった」。なすすべもなく、服についた「チリ」を手で払い落とすしかなかった。
posted at 01:33:27


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話13)そうした「福島第1原発からのチリ」を浴びた町長に「それは危険なものだという認識はあったのですか」と問うと「今でも『もう終わった』と思っている」と応えた。「それはどういう意味ですか」と問い返すと「鼻血がとまらない」と言った。
posted at 01:34:51


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話1 4)「ずっと鼻血がとまらない。鼻をかむと今でも血が出る。たらたら垂れることもある。もう乾燥しているんだかなんだかわからない」
posted at 01:37:54


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話1 5)「胸から下、すね毛まで毛が抜けてつるつるになった」「銭湯で隣に座ったじいさんが『おい、女みたいにすべすべになっているぞ』というので気づいた」「陰毛だけは大丈夫だった」「体毛がないと肌着がくっついて気持ちが悪い」
posted at 01:39:21


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話1 6)3月11日直後から東電の職員は2人が町役場に来ていた。ふだんから担当している広報課の職員だ。しかしメルトダウンや水素爆発の情報は何も教えてくれなかった。今から思うと顔面蒼白で、知っていたのかもしれない。
posted at 01:43:17



福島県双葉町に「死の灰」が降ったという井戸川克隆町長のお話、あまりに驚いたので今夜のうちにお知らせします。
posted at 01:49:08


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話1 8) 補足。政府が決めた「ベント」も何の予告もなかった。町民が真下にまだいるのに、ベントが行われた。自分たちを日本国民と思っているのか。まるで明治維新の前からそのままではないか。
posted at 01:52:26


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話1 9) 死の灰」の話にびっくりして「その場(双葉厚生病院前)に何人くらいいたのですか」と町長に問うた。町長は「300人くらい」と応えた。絶句した。若い職員、医師、看護師もいたという。町長は「バス一台分乗っただけだった」と残念がった。
posted at 01:56:19


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話20)「12日の水素爆発のあと、 福島第1原発から断熱材の破片のようなものが雪のように降ってきた」。その後飯舘村にいた人が「空気中を繊維のくずのようなものがキラキラ舞っていて、あれ、外なのにおかしいなと思った」という証言と一致する。
posted at 02:01:31


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話21)水素爆発のあと、福島第1原発から双葉町に降り注いだ断熱材(グラスウール)の破片のようなもの。これはどう考えても「死の灰」ではないのか。
posted at 02:02:42


RT @shoko615: @hirougaya 絶句です。新聞テレビ10数人いたとのことですが、こうした内容をきちんと報じることを期待したいですけど、どうでしょうね… QT: 福島県双葉町に「死の灰」が降ったという井戸川克隆町長のお話、あまりに驚いたので今夜のうちにお知らせします。
posted at 02:03:20


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話22)12日、「ズン」という鈍い音がして、福島第1原発が最初の水素爆発を起こしたあと、数分後に、双葉厚生病院前に断熱材(グラスウール)の破片のようなものが「ぼたん雪のように」降り注いだ。=烏賀陽注:これはどう考えても「死の灰」ではないのか。
posted at 02:06:38


福島県双葉町・井戸川克隆町長の「死の灰」の話 これは井戸川町長が横浜の「脱原発世界会議」でも話していた。Our Planet TVのインタビューでもちょろっと触れている。私は避難計画がどうして機能しなかったのか聞きたかったので質問してら、そんな話になった。
posted at 02:09:09


福島県双葉町・井戸川克隆町長の話23)ちなみに、3月12日の最初水素爆発のあと、福島第1原発から双葉町に「ぼたん雪のように」降り注いだ断熱材(グラスウール)の 破片を町長が目撃した双葉厚生病院は、同原発から2キロしか離れていない。
posted at 02:11:25



福島第一原発災害の取材は絶句するような話の連続ですが、きょうの井戸川克隆・双葉町長の話(特に死の灰の話)には絶句しました。記者生活まもなく26年ですが、いやはや、こんな話を聞くとは。
posted at 02:17:40


(以下略)


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