小沢元代表控訴にかかわる、まともな意見いくつか。

まずは、東京新聞5月10日の社説から。


http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012051002000116.html
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小沢元代表控訴 一審尊重へ制度改正を


一審無罪の小沢一郎民主党元代表を検察官役の指定弁護士が控訴するのは疑問だ。そもそも検察が起訴を断念した事件だ。一審無罪なら、その判断を尊重するよう検察審査会制度の改正を求めたい。



 新しい検察審制度で、小沢元代表が強制起訴されたのは、市民が「白か黒かを法廷で決着させたい」という結果だった。政治資金規正法違反の罪に問われたものの、一審判決は「故意や共謀は認められない」と判断している。



 つまり、「白」という決着はすでについているわけだ。検察が起訴する場合でも、一審が無罪なら、基本的に控訴すべきではないという考え方が法曹界にある。国家権力が強大な捜査権限をフルに用いて、有罪を証明できないならば、それ以上の権力行使は抑制するべきだという思想からだ。



 とくに小沢元代表の場合は、特捜検察が一人の政治家を長期間にわたり追い回し、起訴できなかった異様な事件である。ゼネコンからの巨額な闇献金を疑ったためだが、不発に終わった。見立て捜査そのものに政治的意図があったと勘繰られてもやむを得ない。



 小沢元代表はこの三年間、政治活動が実質的に制約を受けている。首相の座の可能性もあったことを考えると、本人ばかりでなく、選挙で支持した有権者の期待も踏みにじられたのと同然だ。



 新制度は従来、検察だけが独占していた起訴権限を市民にも広げる意味があり、評価する。だが、新制度ゆえに未整備な部分もある。検察官役の指定弁護士に一任される控訴判断はその典型例だ。検察でさえ、控訴は高検や最高検の上級庁と協議する。



 「指定弁護士の独断で、小沢元代表をいつまでも刑事被告人の扱いにしてよいのか。「看過できない事実誤認」を理由とするが、検察審に提出された検察の捜査報告書などは虚偽の事実が記載されたものだ。どんな具体的な材料で一審判決を覆そうというのか。



 むしろ、「白か黒か」を判定した一審判決を尊重し、それを歯止めとする明文規定を設けるべきだ。最高裁も二月に、控訴審は一審の事実認定によほどの不合理がない限り、一審を尊重すべきだとする判断を示している。むろん被告が一審有罪の場合は、控訴するのは当然の権利だ。



 検察による不起訴、強制起訴による裁判で無罪なのに、「黒」だと際限なく後追いを続ける制度には手直しが急務である。


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まともなスジの通った記事を、ひさしぶりに読んだ。
東京新聞には、ジャーナリズム魂がまだ生きている。
あたまがすっきりして、気持がいい。


昨夜のツィートでは、東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏が本件に関して、つぎのように発言していた。


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長谷川幸洋 ‏ @hasegawa24


検察の不起訴判断を素人集団の検察審査会が疑問に思って「白黒を裁判所に」と求めた裁判。指定弁護士は検審代理人で無罪となったら、代理人が控訴できるのか。主役であるはず検審の役割が控訴の段階で消えてしまって、指定弁護士の判断が尊重される。これは構造的におかしくないか。



指定弁護士は弁護士会が指定されただけ。控訴するかどうかを決めるのは検審というなら、まだ分かる。代理人が途中でご主人さまの役割を奪ってしまったかのようだ。



指定弁護士に検察その他の意図が紛れ込んでいたら、どうする。そもそもの検審の意図から逸脱してしまわないか。


外から見ていると「指定弁護士による控訴」という仕組み自体に違和感を感じる。正統性に大きな疑問がある。主役は素人集団の検審ではなかったのか。法律のプロはどう考えるのか。



いったん検審が起訴を決めて、指定弁護士が動き出すと、有罪を勝ち取るまで控訴するというような事態になりかねない。そんな権限をそもそも指定弁護士に与えられているのか。途中で「素人集団の意思」という肝心要の要素が「指定弁護士の意思」にすりかわっている。



あらためて「検審の意思」を問い直そうをすると「時間がかかる」とかいう議論もあるようだ。そんな小手先の話ではない。そもそも「素人集団に判断を委ねる」という制度の本質にかかわる話だ。



こういう訳の分からない制度が重要政治家について、ろくな説明もないまま運用されると、この国は「暗黒国家」という印象が広がりかねない。指定弁護士など裁判関係者はもちろん司法関係者はしっかり国民に説明すべきだ。少なくとも、私には訳が分からない。



おまけに、この裁判では検察のデタラメ調書もあきらかになった。デタラメ調書の問題が問われず、正統性に疑問がある裁判が続くのか。それでは裁判自体がデタラメと言われても、しょうがない。


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最後に「念のために言えば、私は小沢支持でも不支持でもなんでもない。控訴という事態に根本的な疑問があるだけ。」とつけ加えていますが、これは蛇足以外の何ものでもない。誰が、このツィートを読んで、小沢ひいきの発言をしていると思うか? 文章をきちんと読むものなら、そんなことは思わない。


しかし、こと小沢一郎に関するかぎり、この奇妙な蛇足をつけ加えないでは発言ができないという「異様な」現実があります。


この「異様な」現実こそが、長谷川氏の言うようなむちゃくちゃな、無理が通れば道理がひっこむ式の、「暗黒国家」そのもののふるまいを、いかにも当然のことのように新聞テレビ国会でおおぴらにやらせているのだ。


原発事故,放射能汚染には目を逸らし続け、小沢一郎にばかりこだわるこの国の愚かさに理解に苦しむばかり。これでは、この国は破滅の一途だ。」・・・こういうツィートをした人がいたが、ほんとにそのとおり。


これらがすべて、ある「政治的意図」のもとに行なわれているらしい、ということくらいは、いくら世論操作もとい世論調査をくりかえしても、わたしたちにだって、もうわかる。



田中良紹の「国会探検」
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2012/05/post_299.html
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政治的事件の政治的控訴



小沢氏を巡る一連の事件はそもそも犯罪を摘発して有罪にする事が目的ではなく、小沢氏の政治力を削ぐ事が目的の政治的事件であると私は言い続けてきた


 従って検察が事件にならない事案を摘発するのも、不起訴にするしかなかったのも予想通りで、また検察が不起訴にしたものを検察審査会が強制起訴に持ち込み、無罪の判決に対して検察官役が控訴するのも不思議ではない。目的は高裁で有罪にすることではない。小沢氏の政治的復権を遅れさせるところにある。



 従って一連の事件の主戦場は検察の捜査や裁判の場というより、国民に対する情報操作の場に置かれている。御用評論家を動員して「小沢は終った」と言わせ、メディアにガセネタを書かせて「小沢はクロ」の心象を国民に与え、民主主義に無知な国会議員に「政治的道義的責任」を追及させるのが一連の事件を仕掛けた側の狙いである。



 仕掛けた側は小沢一郎氏の政治力によって統治構造を変えられるのを恐れ、最高権力者になるのを阻止しようとした訳だが、その連中が攻め込んできているのは国民の意識である。国民が情報操作にマインドコントロールされるか、それともマインドコントロールを撥ねのける力があるのかがいま試されている。


(略)


この事も一連の事件が政治的事件である事を物語っている。つまりこれまでの統治構造を変えられたくない勢力が与野党の国会議員の中にも根を張っているのである。従って問題は司法だけではなく政治的にも解決する必要がある。表面は「政治とカネ」の問題で刑事事件と思わされているが、本質は政権交代による統治構造の変革を阻止する勢力の仕掛けである事を国民は見抜かなければならない。これは事件ではなく国民主権に対する挑戦なのである。


(略)


 それを国民は見極めて次の選挙では「国民の敵」を落選させ、ガセネタを書く新聞やテレビには不買運動で打撃を与え、今一度本物の政権交代を成し遂げる事を考えるべきである。毎度言ってきた事だが裁判の結果で問題は解決しない。この裁判の過程で見えてくるものを直視して「国民の敵」を見極める事が大事である。控訴が政局に大きな影響を与えるとも思わない。そもそも「連休明けから政局は波乱万丈」と言って来た訳だから、それが始まっただけの話である。


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