小沢判決の読み方

四月二十六日、小沢「無罪」判決は、ほんとうにうれしいものでした。
西松事件以来、何の関心もなかった小沢一郎民主党のウォッチングを始め、
これが民主党政権交替をはばむもの、万が一政権交替しても民主党を骨抜きに
するもの、そういう意図をもった「事件」であって、この「意図」はわれわれ
選挙権をもつ国民の意志をねじまげようとするものだ、と思ってきました。
ありていに言えば、「お上に従え、おまえら黙れ」の愚民化政策おしつけです。


三年かかって、ようやく論理が論理として通じたと、すこぅぅぅぅし思われたこと
でした。


もちろん、世論操作のマスコミがすぐにシャッポを脱ぐとは思いませんし、
控訴がどうなるか。


直後、弁護人側と指定弁護士側の記者会見ビデオを見ましたが、何しろこちら
シロウトですから、指定弁護士側の「自分たちの言い分は全部認められたが
結論だけが無罪だった」という言い方が正しいのか、弁護人側の「よくできた判決
文だった」が正しいのか、よくわからない。


いま、郷原信郎氏のツィートから、おすすめの解説ブログ知りました。
これは、よくわかる。納得がいく。


どうぞごらんになってください。
執筆者ESQ氏のブログ・ブロフィールには、「日本のメディアが報じない海外の政治、経済、社会問題などを紹介している。」という匿名氏です。


面白そうなブログです。


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http://blogos.com/article/37996/?axis=b:98
小沢判決の解説・評価(それでも「小沢は黒」という人たちへ)


(略)


通常人の通常の日本語能力をもって東京地裁判決を読めば、「真っ黒」とか、「限りなく黒」だが無罪なんていう理解にはならないと思うが、要職に就いている人やマスメディアの人々は、本当に判決を読んだのかどうかしらないが、本当に判決要旨を読んだとすれば、通常人の通常の日本語能力を持っていないのではないかとすら思ってしまう。


判決要旨が民主党の議員により公開されている現在においては、判決が小沢を黒と言っているというのであれば、少なくとも95ページの判決要旨を読んだ上でいうべきであろう。


さて、それでも「小沢は黒」という人たちのために、小沢の4億の原資について、東京地裁刑事第11部はどのように判断しているのか紹介したい。



判決要旨の29ページないし30ページは次のように判示する


(略)


これらの指定弁護士の主張は、いずれも一定の合理性があると考えられなくはないが、この点について、石川は、公判においては、本件4億円の簿外処理の意図について否定しており、指定弁護士の主張に沿う直接証拠はない。

また、①に関して指定弁護士が主張する事実は、石川において、本件4億円の原資が何らかの違法性のある資金であるとの具体的な認識を有していたことを推認できるほどの事情とはいえない。

さらに、同人の供述からうかがわれる同人の政治資金規正法における寄付等に関する知識の程度等によれば、前記②の認定も困難である。
その他、指定弁護士の主張を裏付ける証拠はないから、前記アの限度で認定するのが相当である。



この判決から明らかなとおり、石川の簿外処理の動機について、判決は原資が違法なものであったためそれを隠すことを意図としたとは全くもって認定していないのである。



(略)



と改めて認定し、要旨37ページで、



指定弁護士は、本件土地公表の先送りは、収支報告書の記載を複雑化して、その内容を分かりにくくする隠ぺい、偽装工作としての意味もある旨主張しているが、そのような効果があるかには疑問があり、そこまではいえない。



としており、原資の違法性を隠す偽装工作という指定弁護士の主張を排斥している。


そして、判決要旨38ページで判決は、



指定弁護士は、29日の送金は、分散入金や28日の送金と一連のものであり、本件土地購入代金等や本件定期預金の原資が、陸山会の資産からかき集められたものであるとの外観を作出し、本件4億円を分かりにくくするために行われたものである旨主張している。


しかし、28日の送金のそのものは、同じ陸山会が有する口座間の資金移動に過ぎず、収支報告書等での公表は予定されていないから、金をかき集めた外観を作出するための隠ぺい行為としての実効性には、疑問がある。

また、29日の送金は、関連団体からの資金移動ではあるが、関係証拠によれば、これは、平成16年分の収支報告書において、関連団体から陸山会に対する寄付として記載されていないことが認められ、本件土地の取得費や本件定期預金の原資として対外的な説明に利用されていないから、収支報告書を意識した計画的な隠ぺい工作と認めるには、疑問がある。
したがって、指定弁護士の前記主張は採用できず、28日の送金、29日の送金の目的は、前記2及び前記5(1)で認定した趣旨にとどまるものと認められる。




として、違法な原資を隠す隠ぺい工作というマスメディアの報道にも多くあった部分は、明確に否定しているのである。



以上みてきたとおり、マスメディアが騒いだ4億円の原資が違法な献金によるものだという"疑惑"部分については、裁判所は一切採用していないし、それを前提として隠ぺい工作があったとする指定弁護士の主張を採用できないとしているのである。



このように、判決が原資の違法性に何ら言及しておらず、原資が違法なものであることを前提とした指定弁護士の主張を明確に排斥しているにもかかわらず、未だに「小沢は黒」という人々はどう判決を読んでいるのであろうか。



ぜひともその通常人を超えた(?)理解の過程を教えてほしいものである。


(略)


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あの、指定弁護士三人の記者会見、両側の二人は、確かに「自分たちの主張は
みんな認められた」が、最後の結論だけが「無罪」で、あれっと思った、とか
言ってたはず。


あれはいったい何なのだ??


真ん中の弁護士は物言いが慎重でしたが、脇の二人はおしゃべりで軽かった。
顔はそう悪辣な感じはなかったから、発言をどう受け止めていいのか
わからなかったけど、なぁぁぁぁんだぁ、こんなにはっきり判決で主張が否定
されてるじゃないの。




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小沢判決の解説・評価(補足)
http://blogos.com/article/37960/


1.共謀の部分について

95ページもある内容だが、共謀の認定にかかわる重要な部分は80ページあたりからなので、実際に読んでみると良いかもしれない。

まず、この判決の80ページで、判決は、


(略)


この立証について、指定弁護士は、最高裁決定である平成15年5月1日(スワット事件)を用いて、当然知っていたはずだという主張をしたのであろうが、裁判所は、「相応の根拠があると考えられなくはない。」というこの考え方の否定を前提とした表現を用いて、排斥したのである。


ちなみに、「考えられなくはない」という表現は、法律関係者では良く使う表現である。一応、その主張は検討するに値するが、採用はできないという場合に使うことが多いように思われる。


したがって、裁判所が理解を示したというものではない。理解を示していれば、その主張を採用するはずである。(こういうところがポイントですね〜)



現に、判決も、


しかしながら、当裁判所は、被告人には、本件土地の取得及び取得費支出時期の認識並びに本件4億円の収入計上の必要性の認識について、これらを認めることができないことから、被告人の故意、共謀を肯定することができないと判断した



と判示しているように、指定弁護士の主張を明確に排斥している。


したがって、私見としては、今回の東京地裁の判決は、控訴が極めてしにくい形で、綿密な事実認定をしているから、これを控訴するのは難しいし、これを控訴しても、私は無理筋の主張以外の何物でもないと思う。



仮に、万が一、東京高裁が状況証拠による推認(私見はこの種の推認は、経験則に反した「憶測」になると思うが)により、東京地裁の指摘する可能性を排除して、逆転有罪を出したとしても、昨今の最高裁の綿密な事実認定を要求する姿勢に変わりはないから、最高裁で差し戻されるのがオチであろう。



なお、裁判所の判決における表現であるが、裁判所は、その主張に賛同するときはもっとストレートな表現をする。たとえば、「一理ある。」とか、「考えられるところである。」とかである。




2.弥永教授の意見書に対する裁判所の評価



会社法企業会計法の大家である弥永先生の意見書に対する裁判所の評価も面白い。


さすがに、弥永先生レベルだと一学者の意見で取るに足らないとはいえず、裁判所も丁寧な検証が必要になるようである。


判決は、判決要旨45ページにおいて、


(略)


と指摘している。



つまり、ここは弁護人の反証不足であり、本件所有権の移転時期が平成17年1月1日以降に変更されたというところの反証がないから、弥永意見を前提にしても、虚偽記入に当たるとの結論を左右しないと判断しているのである。


結局のところ、裁判所は、石川が所有権の移転時期を平成17年1月1日以降に変更することに失敗し、移転時期は平成16年中であったという認定ができる以上、弥永意見が結論を左右しないとしたのであり、この裁判所の理解は当然の帰結だろう。



3.検察に対する部分



今回の判断でやはり注目すべきは、検察に対する苦言である。


判決は、要旨6ページにおいて、



このように、検察官が、公判において証人となる可能性の高い重要な人物に対し、任意性に疑いのある方法で取り調べて供述調書を作成し、その取調状況について事実に反する内容の捜査報告書を作成した上で、これらを検察審査会に送付するなどということは、あってはならないことである。



と指摘している。



判決は、違法な証拠を検察審査会に送りつけたということを認めた上で、「あってはならないこと」と断じている。



先の同裁判所の2月17日付決定も「違法・不当」などとかなり踏み込んだ指摘をしているが、今回も裁判所がこうした強い指摘をしていることは、検察庁は重く見なければならないだろう。



なお、昨日のブログ記事でも指摘したが、裁判所は、証拠内容の瑕疵と手続の瑕疵を峻別し、手続的瑕疵がない以上、公訴提起の有効性に影響を与えないというオーソドックスな判断をしているのである。


これは、検察審査会員の職責の重さを改めて認識させるものであり、検察審査会のあり方は今後大幅に見直さなければならないだろう。



(略)


私も判決を読んで驚いたが、判決は要旨7ページにおいて、次のような指摘までしているのである。



検察官が、任意性に疑いのある方法で取調べを行って供述調書を作成し、また、事実に反する内容の捜査報告書を作成し、これらを送付して、検察審査会の判断を誤らせるようなことは、決して許されないことである。


本件の証拠調べによれば、本件の捜査において、特捜部で、事件の見立てを立て、取調べ担当検察官は、その見立てに沿う供述を獲得することに力を注いでいた状況をうかがうことができ、このような捜査状況がその背景になっているとも考えられるところである。



ここで注目すべきは、裁判所の表現である。



「考えられるところである。」というのであるから、これこそ、裁判所は、賛同しているのであって、「考えられなくはない。」という先の表現とは全く異なるのである。



さらに、判決は、次のように指摘する。


しかし、本件の審理経過等に照らせば、本件においては、事実に反する内容の捜査報告書が作成された理由、経緯等の詳細や原因の究明等については、検察庁等において、十分、調査等の上で、対応がなされることが相当であるというべきである。



ここまで、明確に裁判所が検察庁に注文を付けているのは本当に異例である。



個人的には、この判決が「十分」と念を押すような表現を入れていることが引っかかる。というのも、この部分からは、虚偽報告書等については、当裁判所ではこれ追求以上しないが、検察庁がその威信にかけて、担当検事ら関与した人物の起訴をも前提として、捜査を徹底的に行えという裁判所の黙示の意思が表れているようにすら感じるためである。



法務省検察庁、及びその他の捜査機関は、この警鐘を真摯に受け止めなければ、裁判所の国に対する信頼は失われるだろう。


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