子安宣邦氏講演

先日、官邸前抗議行動に参加された子安さんの講演です。


ぜひご視聴ください。
考えるヒントになります。
編集されているようで、講演全部というわけではないようですが、含蓄あるものです。




子安宣邦氏、小田実を語る。
2012年7月14日 東京にて
1、小さな人間の位置から
2、戦争の終え方、終わらせ方ーいかに原発的体制を終わらせるか 
3、<政官財学報>体制と<民>



配布資料のなかから、<政官財学報>体制と<民>、を引用します。


私は6月22日に首相官邸前で開かれた<原発再稼動>反対の市民デモ・集会に参加した。4万5千人の市民が参加したこの<原発再稼動>反対の市民デモは重要なことを教えて­いる。我々には首相官邸なり国会議事堂で集会を開きデモをしたりする自由はないことである。官邸や議事堂の道路の向こう側の歩道に通行の邪魔にならないように並ぶことだけ­が許されているのである。集まった4万余りの人数が自ら歩道を溢れ出して行った。


この集会にはまったく<政・官・財・学・報>がいないということである。<政・官・財>がいないことのは当然だが<学・報>もいない。


日本の反原発集会やデモを外国メディ­アは報じても、日本メディアは基本的に報じない。原発が日本の体制的な問題だというとき、その体制とは、<政・官・財・学・報>というメディアをも含む体制を意味すること­を、反原発デモの無報道ぶりがよく示している。


6月22日の原発再稼動反対・市民デモは、市民が市民の情報手段であるツィッターによって、ノーベル賞作家や音楽家等の呼びかけによらずに集まった集会である。組織によっ­て集まったのではない。個人や家族やグループが首相官邸前で「原発再稼動反対」をいいたくて集まったのである。その市民が4万人をこえて集まったことはすごいことだ。それ­は10万になるだろう。それは10万になれば、100万になるのは必然的である。<小さな人間>とは<量>である。だが<量>が<量>であることの力を見せ付けることがで­きるのである。


原発的体制は市民的介入なしに終わらせることはできません。ではどのようにわれわれは介入したらよいのか。べ平連以来の小田の現場的思考とその発言は<民衆の力(デモクラ­シー)>とは何かを我々に教えるでしょう


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最初は、小田実の言葉を解釈してゆきます。
デモクラシーとは、小田実のいうように「民衆の声」であり「民衆の力」だ。


選挙は、形骸化した民主主義、力を奪われた民主主義。


ギリシャにさかのぼって民主主義をとらえなおせば、そういうことになる。
いにしえに還ることによって、いまの道筋をつけていくことになる。


ローマは選挙だけ、民主主義がない、日本と同じ、このように小田実は言った。
選挙とは、われわれの夢を吸収して、政党言語に翻訳していくこと。


日本は天皇制近代国家であって、民主国家ではなかった、これを忘れてはいけない
と小田は言っている。
これをわたしの立場から言えば、日本近代国家の枠組をつくったのは、水戸派の
漢学者。古代中国の皇帝国家にならって作っている。
天皇勅語は、ふつうの知識と教養をもっているだけではわからない。
年号なども、漢学者がつくる。漢語。古代中国の書経時代の言葉。


アルキメデスがいうように国家と市民は対等だ、と、小田はすごい言葉を言っている。
これは、じつは孔子も言っている。この国では道が行なわれぬ、捨てて筏に浮かんで
東方に向おうと。孔子という人間は、乱れた国に家臣として献身するのが道徳的に
ただしい在り方とはまったく思っていない。


君子という人格的な在り方は、国と対等。国と対等な人格として君子はあるのだ。
こういう論語のことばを読もうとは、日本人はしてこなかった。


ベ平連の運動は、虫瞰図の運動だ。虫は地を這っている。目を上にあげれば無限の自由
がある。小田さんしか言えない言葉。


天下国家の視線は、どうしてもつことができるか。
為政者と同一化するか、神の位置に同一化することによって、それをとりこんだ知識人
によって。


徹底的に虫の視点からじーーっと見つめる。見極める。


終らせ方を考えることがとても重要。
どう終らせるのか。


原発をつくる側から見ていたら、絶対わからない。
政財官学報体制に、市民は包囲されている。
この体制から見ては終らない。


日本は、アメリカにまけたとは思っているが、中国にまけたとは思っていない。
戦争の終え方が問題。
われわれは、戦争を終えたけど、戦争を終らせたわけではない。
終結過程に何の介入もしなかった。できなかった。


われわれの民主主義もまた与えられたもの。
われわれの民主主義が、われわれのものになっていない。


原発事故でも、責任追及の過程に市民が入らない。
政治的な決定過程にどうやって反映させていくか。


われわれには、抗議集会、デモの自由がない。ロシアに劣る。反プーチンのデモのような
ものはできないですよ。



以上、聞きながら雑駁なメモをしてみました。