「プラトーン」のオリバー・ストーン監督による「もう一つのアメリカ史」

これは、NHKのBSで放送されたものなんですね。
とてもいい番組です。
BSのようなところでは、まだ健全なジャーナリズム精神が残っているということでしょうか。


十回連続で、長いものなので、先日以来少しずつ見ています。
第二次大戦中の原爆開発時から、やがて核兵器競争へいたる過程
また、冷戦体制がどのようにしてできあがったか、
ほんとによくわかる。


オリバー・ストーンは、ウォレスという政治家を教えてくれます。
ウォレス・・・・あのような政治家が消えさせられて、二流政治家トルーマンが浮上するという
世界にとっての不幸。
見てない方は、ぜひご覧ください。
世界史のなかから、戦後日本史が理解できます。
また、どうしてあんなに恐怖映画が好きなのか、アメリカ映画の性格がよくわかります。


http://www.dailymotion.com/video/xyyfmq_iiii-iiiiiii-iiiiiiiiiii-1_news#.UYvUAZVFnJw



だれかがツィートで、ウォレスは小沢に似ていると書いていました。
確かに。


一市民だった人が小沢攻撃に不信を抱き、調べた成果を、このブログにまとめています。
著書を出し、外国特派員協会でもアピールしたようです。
それに対して、政治学者カレル・ウォルフレンからメッセージが来たそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://civilopinions.main.jp/2013/05/59fccj.html


5月9日 「小沢検審架空議決」FCCJリリースに際し、ウォルフレン氏からカバーレター(訳文掲載)

 5月7日、 『最高裁が画策した「小沢検審架空議決」』を世界に発信するため、外国特派員協会(FCCJ)に下記資料を80部持参した。(http://civilopinions.main.jp/2013/05/58_1.html参照)





      カバーレター(by カレル・ヴァン・ウォルフレン)
 
 世界がまるで気付かないうちに、全世界的にももっとも興味深い政治上の出来事が起こった。
 真のリーダーシップが日本ではなかなか生まれないと日本国内外で何十年もの間批判されてきたが、事実上一党支配が続いてきたこの半世紀で初めて、「真の政党政治」への挑戦が始まり、そして新しい時代が幕を開けた。が、その中心的人物である小沢一郎氏は、新たな政界のリーダーとなる視野も充分なスキルも兼ね備えた政治家だと昔から定評があったものの、現状やお決まりの政策を重んじる向きにとっては明らかに脅威となる存在だった。


 検察を筆頭とする体制側の支配者たちが真っ先に手をつけたのは、小沢氏を首相に手が届く地位から排除することだった。日本の確立した権力構造にしてみれば、政界や実業界の野心的な人物という脅威を排除するためにしばしば用いられるスキャンダルのでっちあげをもってすればこれは難しくはなかった。2009年の総選挙前に小沢氏にふりかかったスキャンダルは、実際にかけられた嫌疑通りに有罪とされていれば、最悪でも行政処分となる程度のものだった。が、このような件において検察と結託する日本の全国紙の編集上層部やNHKの編集室は、犯罪性をにおわせる嫌疑の渦の中に小沢氏を放り込み、政治家としての姿が見えないようにした。何ヵ月も有罪をほのめかす新聞報道が続いた後、起訴に足る証拠が見つからなかったと司法当局は認めた。


もちろん、日本の政界の守り手たちがこれで終わりにするわけもなく、どこをどう見ても信じがたい策を講じた。最近改正された法律(占領時代の遺物である古い法律を基にしている)により、慎重に選出された(かつ指導された)民間人からなる委員会(検察審査会)が、検察官が不起訴処分の決定を下した後にも強制起訴をさせることができるようにした。検察審査会の審議が始まると、2年間さらなる誹謗中傷が続き、確実に政治から世間の目をそらせてしまった。1年前に小沢氏の無罪確定が報道された際には、全国紙の大半が淡々と無罪を伝えるだけだった。あれほど大騒ぎしたにもかかわらず、日本の政界に一体何が起こったのか、反省する動きはなかった。


 しかし、話にはまだ続きがある。2名のごく普通の一般市民が、日本の記者たちがとっくの昔にやらなくなってしまった地道な取材を重ねて、司法当局の間に驚くべき不正があったという証拠を見つけ出した。小沢起訴相当という市民による決定とされる採決が小沢氏に政策決定の力を握らせないように当局がその大半をねつ造したものだったことを、ふたりの調査結果は示唆している。


 自由民主党の安倍首相は、民主党に大敗した2009年選挙の際と同じく低い投票数で、いわゆる「右傾化」を勝ち取った。3年前には革新党に投票した人々が投票所に足を運ばなかったのだ。もちろん、それは今の民主党の体たらくに失望したからだろうが、ここに明らかにされる仕掛けによる面も大きい。この出来事は近年の日本史において非常に重要であり、再考がうながされるべきものである。


                 カレル・ヴァン・ウォルフレン   』