あらゆる場所で倫理が崩壊する・・・小保方問題

あきれてものが言えない、というか、言語道断、というか。
小保方問題です。
そのすさまじさについて、ブログ「世に倦む日々」氏が書いています。


これは有料ブログですが、一日か二日かは無料で読めます。
フリー部分の一段落のみ、ここに引用します。

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http://critic20.exblog.jp/21843312/

小保方晴子の不正事件が問うもの - 格差社会の分配と秩序と倫理



先週、小保方晴子の論文不正の問題ばかりを夢中になって追いかけていた。釘づけになってネットの中の情報を追いかけた。追悼と慰霊の週であったにもかかわらず、この問題に夢中になり、他のことには関心が向けられなくなっていた。何が問題なのか、どうしてこの事件がそれほど重要なのか、私なりの視角と論点を述べてみたい。


最も関心があるのは、小保方晴子がどうしてこのような不正を行ったのか、その動機と心理の真相である。3/14の理研幹部の会見で、調査委員長の石井俊輔は、小保方晴子からのヒアリングの結果として、「画像の切り貼りは、やってはいけないことだという認識がなかった」と説明している。


私は、早稲田(理工)の博士論文もコピペだらけだったことが明らかになった3/11に、本人はコピペ論文の不正について何とも思ってなかったのではないかとTWした。これは直観だったが、的中した感がある。


小保方晴子が提出した博士論文は、人の想像を超える滅茶苦茶な代物で、単に序論をなすBackgroundの20ページを米国のサイトからコピペしていただけでなく、論文の中で最も重要な、実験結果を示す画像を、何と、コスモ・バイオ社の公開サイトからコピペしていた。


さらに、博士論文の第3章の参考文献リストは、台湾の研究者が論文で発表したものがコピペされ、驚くことに、著者名でABC順に並ぶ文献リスト53件が、途中、Pのところで省略され、上から順番に38番目までがコピペされるという凄絶無比なコピペだった。


以下有料

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そのコメント欄にも、ごまかそうなんて「丁寧な」配慮さえない、ずさんさ
が、論文でつかっているフォントでわかることを指摘されています。


こんなもので世間が通ると思い、通している世間=早稲田大学理研の教授
たち。


それは、日本社会の現実が「民主制の形式をした貴族制の階級社会」だからだ、というのが筆者の意見です。
「アカデミーだけでなく、新聞社、テレビ局、広告代理店に。永田町にも。霞ヶ関にも。他とは違う収入と名誉と自由が与えられるこの職場に、才能や実力とは無関係に、縁故と人脈の貴族制のルールで人が入っていて、奔放に資源を享受している。」


そういうこともあるのでしょうが、どうも1990年代あたりから、あらゆる場所で欲望丸出し、本音剥き出しの世の中になりました。
よらば大樹のかげ、長いものにはまかれろ、要領よく権力に接近、何のはばかりもなく、勝ち組に入るのがエライ。そういうふうにもなっていきました。


あらゆる場所で、人としてのありようが崩れてきています。
人が人でなくなり、ケダモノに変容していっている。