近藤芳美のこと

 あれは、おそらく、昭和五十一年一月の新年歌会だったのではないか。会議室に、コの字形に机が並べられていた。
 歌評は、『未来』掲載歌のなかから選んで行なわれたが、せっかく九州から来たのだからと、誰かの懇切なすすめで、わたしは休憩時間に黒板に一首書いた。
 歌を始めて一年がようやく過ぎたといったころの話である。しかも、まだ、わたしは『未来』会員ではなかった。
 歌評は、誰の発言も鋭く、辛辣で、やっと最後に、黒板の歌にみなの視線が移ったとき、胸がつぶれるくらい緊張した。


  地獄あらば地獄の底を行けという水のほとりの鶏頭の花


 歌集ではこのようなかたちに手を加えたが、黒板に書いた原作は、捩れて赤き鶏頭の花、だったかーー。
 河野愛子、田井安曇、後藤直二、そのほか記憶はおぼろだけれど、『未来』のそうそうたるメンバーの批評が続いたが、評価はおおよそかんばしくなく、意味がよくわからない、という。ことに「捩れて」というところに批判が集まった。
 『未来』の古い仲間である石田比呂志と山埜井喜美枝が離婚し、ほとぼりも冷めないころ、その原因を作ったものが、石田比呂志とともに同じ会場にいるのである。歌も、そういう時期に作ったものだった。
 わたしは批評を聞きながら、なぜこの歌がわかってもらえないんだろうと疑いつつ、緊張と落胆とに堪えられないような思いにおちいった。ようやく最後に、司会が、近藤芳美を指名すると、おもむろに黒板に首をめぐらした。
 「いいんじゃないですかね」
 この一言で、身体じゅうの筋肉がゆるみ、ほうっと喜びがのぼってきた。
 近藤芳美の短い言葉は、この歌一首が良いか悪いかということについていっているのではないように聞こえた。そうではなく、ここにあるような歌の向き合い方でいいんだよ、と、背中を押し出してくれたような気がしたのだった。
 歌の巧拙ではなく、歌に通っている何か混じりけのないもの、ひたすらなもの、そういったものを見てくれたのだと、わたしは了解した。
 『未来』に入会したのは、昭和五十三年だったかと思う。一年間で十万円を貯めて、夏の大会に石田比呂志と二人で参加するのが、毎年の大きな楽しみだったが、大会に参加して聞く近藤芳美の言葉は、ほとんどいつも同じといってよかった。
 その第一は、「今いちばん歌わなければならないことを歌いなさい」。この言葉には、どれくらい力づけられたことか。歌を作っていると、ときに迷う。何にも歌うことがなくなったような気がする。そんなとき、小さな円を描いて、その中に<私>と書く。その<私>をにらみつけながら、「今いちばん歌わなければならないことは何か」と自問自答する。そうすると、忘れていた「どうしても歌わなければならないこと」がふつふつと沸き上がってきたものである。
 それから、また、大会の締めくくりに短い話をするときなどは、「今の平安に心を許してはならない。世界の動きを見てごらんなさい」というような言葉をしばしば聞いた。


だが、その知り得ない歴史の嵐が、私たちの世界に関わりないものと今言えるのだろうか。ベトナムの事も又重重と動いている。遠いその戦争は私たち世代のものに何故か三十年前のスペイン内乱の日のことを思い出させる。人民戦線などという幻想に若い学生であった私も救いのような感動を求めたが、戦争は一瞬に風向きを変え、私たちの運命にむかっておそいかかった。ちょうど今と同じように日本の毎日は平和であり、歌壇は泰平と繁栄とを享受していた。                                  『茂吉死後』短歌新聞社刊、昭47  


 この文章は、中国で文化大革命のあった昭和四十二年のものものである。口を酸っぱくして言う父親の人生訓のように、近藤芳美は「今、平安だからといって気を許すな」と言いつづけてきた。その身構えの姿勢を、近藤芳美から教えられた。
 それからまた、ときに、「わたしは自分の歌を二十年後、三十年後に向けて作っていますよ。歌を作るとは、そういう孤独な作業です」と、まなざしを遠くに投げて言うこともあった。
 今の時代に理解者をあえて求めず、という、強がりのように聞こえないでもなかったけれど、しかし、歌を作るとはそういうことなのだとも、うなづけた。
 ものを見るときに、二十年後、三十年後という長い時間のものさしをもってみなければならない。ちまちました歌人になるな。世界を広く見渡し、歴史の動きを見通して、孤独な作業を貫きなさい。過去のすぐれた人々が、その歴史のなかでどのように生きて来たか、見なさい。

 歌という小さな詩型は、一語一句にこだわらなければ、まともなものはできないものだが、ともすれば、それが瑣末事にわたって、小さな檻に頭を突っ込んだようなことになる。そういうとき、近藤芳美のこのような言葉は、胸ひらくような思いのするものであった。動きやまない現代の、大局をつかむ敏感さと確かさとに裏づけられた、このような言葉に、いつもわたしたちは正気に引き戻されるような思いをした。
 近藤芳美を思うとき、近寄りがたく、ひとり佇んで、はろばろと遠くにまなざしを投げている姿が浮かぶ。


                                           (近藤芳美全集月報)