読み切り

時間の上を渡って−−新しい生の類型としての女のうた

「女と云ふものはつまらないものですね どうせ売物だから買ふ方に不足があれば知らず売る方には不足を云ふものでない」と、数えで二十四歳の柳原除エ子は従姉妹房子にあてた年賀状にこんな吐息のような手紙を書いた。 押しつけられた結婚から一児を置いて離婚…

此身一つもわがものならぬ――白蓮と武子

柳原白蓮(菀子)については、「筑紫の女王」と呼ばれた伊藤伝右衛門との結婚生活とのちの宮崎竜介との恋愛・出奔が語りぐさになっているが、この房子宛書簡*は、それ以前の若い菀子が思いをるると綴った貴重な告白である。 清水谷房子は、旧宇和島藩松根家…

文学魂

世間というものを知り始める、十代から二十代にかけての若者のありようはいつの時代にも同じである。 すじみちの通った理や、人間としてあるべき義、そういったものが額面どおりに通じず、むしろ姑息に、抜け目なく、うまく立ち回ったほうが得になるという裏…

八月の靖国とモノ作りの手・・・映画『靖国』

この春問題になった、くだんの映画『靖国』を見た。優れた、ふところの深い映画である。 冒頭、袴をはいた老人が刀の鞘を払い、真上から刀剣を振りおろす。空を切る風の音――ひやりとする。そのとき、中国人にとって「あの戦争」の記憶は、真上から振りおろさ…

西行一首

昔かないり粉(こ)かけとかせしことよあこめの袖に玉襷(たまだすき)して 西行 あるとき、西行でも読んでみるかと、NHK市民大学講座のテキスト「西行の世界」(久保田淳)を買ってきた。数頁ひらいて、まず、頭注に並ぶ「題知らず」十数首ばかりの冒頭〈あかつ…

文字を目で聴く

短歌を少しやると、文語脈での新仮名遣いはどうも具合が悪いということにすぐ気づく。 「出(い)づ」は新仮名遣いだと「出ず」となるが、「出(で)ず」と紛らわしいのでこれのみは「出づ」とする――なんていう新仮名短歌のルールを教えられるが、そんないい加減…

経験の検証

どういうわけか、私たちは<経験の検証>ということが下手だ。<経験>の意味を知の光のもとに考え通す、ということをする人はまれである。そのぶんあたりの情勢には敏感であり、目先にちらちらするものに賛否両論となえつつ一斉になだれ込んでゆきがちでも…

近藤芳美のこと

あれは、おそらく、昭和五十一年一月の新年歌会だったのではないか。会議室に、コの字形に机が並べられていた。 歌評は、『未来』掲載歌のなかから選んで行なわれたが、せっかく九州から来たのだからと、誰かの懇切なすすめで、わたしは休憩時間に黒板に一首…

歌の出会い

出会うということは、難しい。それは、神さまの玉突き遊びのようなものである。さまざまな偶然が一致して、同じ時間と空間を共有しなければこの世の人との出会いはないが、しかし鼻面つき合わせて十年つき合ったって、出会わないままであることもしばしばな…

柔らかなこころのために

歌を作りはじめてから、三十年を過ぎました。一九七四年、児童相談所の心理判定員として勤務していた二四歳のとき歌に出会い、ついにここまで来てしまいました。歌を生活の中心に据えるという生き方は、否応なく「清貧」たらざるを得ないのですが、そういう…

あれは詩じゃない  

おそらく十六、七年ぶりにもなるのだろうか、詩人の井坂洋子さんと池袋で会って、食事をした。 待ち合わせた芸術劇場二階喫茶店の扉にあと数歩というところで、大きな白いマスクをして出てきたのが井坂さんである。なつかしいという思いが湧く。お互いの手を…