国策捜査なのか?

ミニマム・メディアの一中継地点として、信頼できると思った記事のアドレス、あるいは記事をここに貼り付けます。どうぞ、ご自身でご判断ください。



http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20090311




それから、下の記事引用は、「かんぽの宿」問題を追求している社民党衆議院議員保坂のぶとさんのブログ「保坂展人のどこどこ日記」から。

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3月3日夕刻に、民主党小沢代表の第一秘書が東京地検特捜部に突然逮捕されて以降、新聞報道は「洪水」のような検察情報で埋めつくされた。数日前まで、次々と明らかになり報道も広がっていた「かんぽの宿」疑惑は一時は完全に覆い隠された感もある。


しかし、与野党にまたがる古典的な「政治とカネ」の問題と、小泉・竹中構造改革路線で短い時間で生み出された「改革利権」の裏側がえぐりだされた疑惑とは、構図も登場人物も違う。


公共事業に関わる「政治とカネ」の問題を決着させなければならないが、相も変わらず「旧田中派竹下派」が伝統的に引き継いできた「伝統ある歴史的利権」のみをクローズアップして、構造改革という名の熱風の影で私腹を肥やしてきた「改革利権」を見逃すようでは、この国の未来はない。

(中略)

「政局の小泉」の動向に目を凝らしていたメディアも、このニュースを大きく伝えなかった。なぜなら、「小沢秘書逮捕」の衝撃的なニュースは3月3日の夕刻であり、4日の「再議決」は事件報道に隠れてしまったからだ。


この目立たない小泉元総理の行動と突然の逮捕劇をつなげてみると、「捜査は自民党には及ばない」(漆間官房副長官)という言動に批判が集中したように「捜査の裏話」が与党の地下水脈的情報で断片的に流れていた可能性を疑ってしまう。


いずれにせよ、「かんぽの宿」疑惑がピークに向かうことを阻止したいと思っていた小泉劇場の当事者たちは、3月3日の逮捕劇から始まった土石流のような報道に一息ついたのではないかと予想する。

・・・・・引用終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





それから、この三月初め以来、わたしのとっているT新聞紙上で、初めてまともな記事を一つ見ました。22日付け「本音のコラム」、山口二郎さんの「人の支配」です。
以下、少し引用しておきます。

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〈略〉
言うまでもなく、検察は法の支配の一翼を担うはずである。しかし、日本では法の支配という概念が的確に理解されていないように思える。


法の支配とは、すべての国民が法を遵守し、正しい生活を送ることを意味するのではない。法の支配とは、もっぱら権力者の側を縛る理念である。国家権力が法を守り、恣意的な権力行使をしないことこそ、法の支配である。


法の支配の反対は、人の支配であり、権力者が自由に個人を拘束できる体制である。


検察は常に法に照らして厳正に対処すると言う。しかし、ある人に対しては厳正に権力を行使して、他の人の同様な事案は不問に付すという恣意的な選択を検察が行なっていることが、今回の事件から浮かび上がった。


法の適用があまりに恣意的に行なわれるというイメージを国民が持てば、法の支配は崩壊するのである。
〈以下略〉

・・・・・・・・・・引用終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



法の問題とともに、第四の権力と言われるメディアの倫理も問われます。
今回の報道は、大本営発表をそのまま流すかつてのメディアとたいして違いませんでした。