原中勝征さん(日本医師会会長)インタビュー・・・『メディカル朝日』より

毎日暑いですね。
一週間ほど郷里におりました。


戻って、メール整理をしましたが、そのなかでわたしの入っているメーリング・リストで流れてきたインタビューです。かつて日本医師会といえば、なにかうさんくさい権威的な利権集団(?)みたいな印象がありましたが、変わったんですね。


本インタビューは、『メディカル朝日』という雑誌の巻頭インタビューであり、アピタル(朝日新聞の医療サイト)にネット掲載されているそうです。
四月に就任したこの新医師会会長は、茨城県医師会会長だった人だということです。


アメリカは、郵政を民営化させたのと同じで、日本の国民皆健康保険制度の民営化をねらっている、ということを、ちらほらと聞くことがありました。
とんでもないことです。まさか、と思ってはいますが、やはり民営化の動きがあって、原中氏はそれに反対の意見をもつ方のようです。


https://aspara.asahi.com/column/medi-kataru/entry/2kAD9RCtGb
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闘う医師会づくりで
官僚主導から脱却


4月、第18代日本医師会会長に就任した原中勝征さんは、旗幟鮮明に民主党支持を宣言している。
かつての医療政策を「官僚主導の結果」と批判し、闘う医師会づくりの新機軸を打ち出した。
山積する課題への解決策と抱負を尋ねた。



――日本では、偏差値が高いから医学部に入るという風潮が少なからずあります。


原中 ペーパーテストの点数さえ良ければ医師になれるというのは、大きな間違いです。医師とは人の心が分かり、苦しみが分かって、その人たちの味方になれるということが絶対必要な職業です。


 アメリカに留学していた折に、日本と大いに違っているのは、学生が医学部に入る段階で、なぜ医師になりたいか、どういう医師になりたいのかという目的意識をはっきり持っている点だと感じました。


 ある州で試験がすべてトップの成績という学生が、医学部を受けて不合格になりました。面接では、「あなたは人に保護されているだけで、自分から何かをやろうとしたことがありませんね。どうしても医師になりたいのなら、1年かけて福祉の仕事をやってきなさい」と言われたそうです。


 また、ある学生は子どもが好きで小児科医になりたいと、夏休みには子ども相手のサマースクールで指導をしていました。日ごろのアルバイトはビルのトイレ掃除をしており、それを医学部の面接で聞かれると、「親に生活費で迷惑をかけたくないと、高校生が放課後でもできる仕事を探したら、ビルのトイレ掃除でした」と答え、合格しました。日本のように学力偏重ではなく、合否は単に入学試験の点数で決まるのではない。大学にも、どういう学生が欲しいかというポリシーがあるのです。


 患者さんの立場は非常に複雑で、言葉からだけでは決して正確な判断ができないことが多く、理解するには時間がかかります。一人ひとりの患者さんを大切にしようという姿勢が要ります。



――医師は一生勉強と言われますが、たゆまぬスキルアップも大事です。


原中 私が会長をしていた茨城県医師会でも、また、どの地域医師会でも毎月2回は勉強会を開いていました。肝炎や糖尿病、がんの末期医療など、特に専門性が必要な領域は、知事と茨城県医師会長の主催で2日間にわたる集中講義を実施して、リポートを出してもらい修了証書を出していました。


 診療所で手に負えない患者さんは大病院に送りますが、そこから帰されてきた時にカルテの中身を理解できなければ、患者さんは診られません。



女性医師が働き続ける環境整備を


――増加している女性医師の問題もありますね。


原中 アメリカでは女性医師は生涯、仕事を辞めることなく続けています。日本人の場合には、家事と両立できずキャリアを中断してしまうことが多いようです。これは、必ずしも辞める女性が悪いということではありません。医師の仕事は相当神経を使いますから、今の日本の環境では、帰宅後に休養したり、心の余裕をつくったりすることは難しいでしょう。


 例えば、アメリカには、公的な保育所以外に個人で子どもを預かってくれる所がたくさんあります。もう一つ、アメリカの男性は医師であっても家庭の仕事を分担してこなします。日本はまだ男尊女卑が続いているのか、女性が働くことに対して大きなハンディがあり、家庭にいったん入る。そこから再び職場に戻るには勇気が必要になるのだろうと思います。


 日本の医師不足への対処の一つとして女性医師のキャリア継続を考えると、環境づくりを真剣に考えていかないといけません。




医療費削減に臨床研修が追い打ち


――医療費の切り詰め策が医療崩壊につながっていますね。


原中 高齢化が進めば当然医療の中身は濃くなり、医療費は年1兆円ずつ増やしていかなくてなりませんでした。ところが、小泉政権以後、逆に1兆円減らされてしまいました。やがて、救急車のたらい回しなどが起こり、当初は病院の医師が批判されましたが、当直医師が手薄であることが明らかになってくると、今度は診療所の医師は楽をしていて、病院のほうが大変だというイメージづくりが始まりました。


 2004年に新臨床研修制度が始まると、日本全国の大学が市中病院からの医師引き揚げを始めました。医師は少なくなる、収入は減るということで、銚子市立総合病院のように、崩壊寸前のところがどんどん出てきてしまった。まさに人災です。


 総医療費32兆円は、個人負担と保険料と税金を合わせたものです。中でも投入される税金が一番減り、次が保険料。必然的に個人負担は増え、1割から3割になりました。介護も同様です。かつては月に3万円あれば特別養護老人ホームに入れましたが、今は約7万円を自費負担しなければ入れません。農家や商店の人は、年金だけでは申し込めないようになりました。


 それならば、民間の保険を入れてはどうかという議論になります。しかし、民間が参入すると、受けられる医療にもランクができてしまう恐れがあり、アメリカのように無保険者の問題も出てくるでしょう。今回の新型インフルエンザの各国での状況は医療格差の典型例でした。アメリカを始めとして公的保険のない国で高い死亡率を示しました。早い段階でタミフルを手に入れられなかったからです。一般にウイルスは、人を経れば経るほど病原性が強くなります。日本は最後に大流行したにもかかわらず死亡者が少なかったのは、国民皆保険タミフルを服用できたからです。


 少なくとも社会保障に関して、格差社会をつくってはいけないというのが今の私たちの考え方です。憲法で定められた最低限度の文化的な生活ができること。これがセーフティーネットであり、安全のバリアという考えです。ここが崩れたら、日本人は本当に不幸になります。もし、民間の団体が入ってくれば、利益優先で損をするようなことは絶対しないはずです。私たちは参入を阻止していきます。 



――国は医療や福祉を無駄遣いだととらえているようですね。


原中 例えば、1兆円あれば、約45万人の雇用が創出できます。決して無駄遣いではなく、失業者も減らせます。今は 2.8人で1人の65歳以上の高齢者を支えていますが、2055年には1.2〜1.3人で1人を養う時代になります。雇用が縮小されて年金を掛けられずにきてしまった人は、高齢になれば生活保護に頼らざるを得なくなります。しかも国債の残高は増え続ける。真剣に考えなくてはいけません。


 国民皆保険を最低のセーフティーネットと考えれば、労働分配率を52〜53%にまで戻さない限り日本は潰れてしまいます。昔は女性が夜中に歩いていても安心だったという日本が、いつの間にかおかしくなった。経済的な将来に対する不安が、若い人にも芽生えているのです。  




民主党との協議会に現場の声を


――政権交代で、変化はありましたか。


原中 政府にこうしたことを訴えやすくなりました。私は民主党寄りだと言われますが、政治家が政治をやるということは正しいと思っています。本来は、2大政党が政権を取り合うのが理想的です。自民党の長期政権で2世、3世の議員が増えて、政治家が勉強しなくなり、官僚が政治をやりやすくなってしまったようです。これは正さなくてはなりません。


 日本医師会は、民主党に現場からの声を届ける団体にならなくてはいけない。そこで、小沢前幹事長と私が最高責任者になって、民主党日本医師会との協議会をつくることにしました。その中で、雇用問題、少子化問題、民間企業の医療への参入などを話し合います。また、特定看護師の問題もあります。アメリカのナース・プラクティショナーは、チーム医療の中で位置付けられています。ところが日本は、看護師に医療行為をさせれば安くできるという誤った方向に向かっています。


 間違いのない良質の医療をつくることは国民のためであり、経済性を中心に医療を変えようとすることに対しては断固反対していく。それが、私たち専門集団の務めだと思っています。




強い医師会を直接選挙で実現


――医師の偏在をどう考えますか。


原中 福島県大野病院事件では、前置胎盤帝王切開を受けた妊婦が死亡し、執刀した産科医師が2006年、公衆の面前で手錠をかけられました(08年無罪確定)。リスクが高いので、大学病院での分娩を勧めていましたが、遠いからと患者が拒否したために、手術に踏み切ったのです。


 これを機に、訴訟を恐れて産科の志望者が減り、同様にリスクが高い外科系の科目も敬遠されるようになりました。ところが、最近は、産科は逆に増加に転じているようす。大変だという認識が浸透すると、「そんなに必要ならば進もうかと」いう医師が出てくるので、そう捨てたものではありません。


 日本では科目の選択は自由ですが、フランスでは医師免許を持つ人は全員医師会に入ります。医師会がどの地域で何科の医師が必要だということを明らかにして、必要に応じて定員を決めます。過疎地に行く医師には、一定の点数を与えます。開業したいと希望する医師が、高い点数を持っていれば最優先で権利を得られる仕組みにしています。極めて管理的です。ドイツでは州ごとにそれをやっています。


 日本もそこまで行き着けば、もうちょっとスムーズに医師が配置できるかもしれません。ただし、法的な問題があります。日本医師会では検討会を設置して、開業医の問題、勤務医の健康管理の問題など、すべてを討議する場にしたいと思っています。


 会長選挙に関する委員会も立ち上げ、直接選挙の是非について検討します。全会員が、最高権限者の選択に参加できる組織にしなければ、強い日本医師会はできません。これが所信表明でも述べた、開業医も勤務医も一致団結した「闘う日本医師会」づくりです。



――そこでの仮想敵とは誰ですか。


原中 国民のための社会保障制度をつくることに抵抗する人です。市場原理主義者は社会保障も市場活動の内と考えておりますので、かなり強力な敵になります。日本の官僚は優秀といわれています。しかし、アメリカの官僚が50年先をにらみながら勉強しているのに対し、日本の官僚は自分たちの退職後ばかりに関心があって、先を考えていない。国民のための官僚ではない。今の官僚の無駄使いは正に国民を苦しめています。



――どのように解決を望まれますか。


原中 私たち医師はこの国で唯一医療ができ、一番大切な生命、健康を守っている職業です。政治も大切な仕事の一つですが、医師も国民のために大切な仕事をしていると思います。だからこそ、日本医師会は国民のためを考えなくてはならないし、国民にももう少し医療のあり方を考えてほしい。


 財源は課題です。収入に応じ、100億の収入のある人ならば、50%の50億を税金として納めてもらう制度にすべきでしょう。少しでも国の借金を減らし、自分たちの若い後輩にツケを残さない。その代わり、高額納税者をちゃんと報奨する。また、寄付というのは善意から出ているわけですから、そこには課税をしない。


 日本は天然資源がありませんから、現状を脱皮して、昔のように世界第2、第3の経済大国になるには、頭脳で突破しないとなりません。ところが、子どもの教育もみんなおかしくなっている。色々なことを今のうちに変えないと……。




神から与えられた余生を人のために


――“拝金主義”を排除しないといけません。


原中 そうです。家庭の喜びを与えなかったのも失敗でした。仕事優先で、夜遅くまで職場の仲間と飲むのに、家庭は顧みない。私自身も本当に後悔しています。私大を出て東大で生き延びるためには、家を朝6時前に出て夜11時過ぎに帰宅し、25年間、家庭は全く振り返りませんでした。本当に悪いおやじでした。それが滞米中に家庭の喜びを知り、一生の間で一番楽しい時期を過ごせました。



――大学を辞められたのはご病気されてのことでしたね。


原中 1989年に大腸がんにかかったことで、人生観も変わりました。2〜3年の間に再発するだろう、そこまでの命だと思いました。当時、家内も日大の助教授でしたが一緒に辞めて、一家で家内の実家であるサナトリウムに戻りました。3年がかりでそこを一般病院に変えてから、死んでいこうと思っていました。


 結果的に長生きできましたが、今の命は本当に神からもらったものだと思っています。だから、決して悪いことはできません。何とか世の中のためにプラスになることを残していきたいという気持ちでいます。


 21世紀の日本はとんでもない国になってしまいました。国の行く末は不安ですが、早く民主党に育ってもらい、早く元に直してほしいと願っています。そのために民主党に対して、嫌なことでも言わなくてはいけないでしょう。


                    (構成 塚粼朝子 ジャーナリスト)



インタビューを終えて
大団体のトップといえば、紋切り型に終始しがちかなと思っていたが、その予想は裏切られた。自らの感覚で問題点をつかみ、自らの言葉で「こうすべき」とはっきり言い切る歯切れの良さは魅力にさえ感じる。医療をする側、受ける側の両面を「経験」として知っているのも強みだろう。日本の医療がこの人の指導の下にどうなっていくのか、しっかり見定めていきたい。(「メディカル朝日」編集長・内村直之)