あいた口のふさがらない社説もう一つ  vs ブログNVNG「小沢氏の出馬表明を冷静に受け止められないメディアと踊らされる国民」

小沢氏代表選出馬を、その是非ではなく、メディアという視点から観察して
みたいと思います。同じ主題をどのように報道・執筆しているか。
どうぞ、この対決も、ごゆっくりご賞味ください。
(突っ込みは、各自で・・・・)



産経ネットニュース・オピニオン
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100827/stt1008270317008-n1.htm
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【主張】小沢氏出馬 国の指導者に不適格だ 「政治とカネ」で信頼失った

(突っ込みは各自で、とは言ったものの、このタイトルを太字にしようとして、何か
一言いわずにはおれなくなりました。これから選挙で闘うというのに、こんな決め
つけを、何の論拠と資格があってするのでしょうか。これは「言論」でしょうか。)


「とことんクリーンな民主党」を実現すると鳩山由紀夫前首相が、小沢一郎前幹事長
とともに身を引いてから2カ月余りで再び小沢氏を担ぎ出す所業には、開いた口がふ
さがらない。


 小沢氏は東京第5検察審査会から「起訴相当」の議決を受け、再度同じ議決が出れ
ば強制起訴される。一連の疑惑を晴らそうとせず、国政の最高指導者を目指す姿には、
強い疑問を呈さざるを得ない。25日の講演でモラルの破綻(はたん)に言及したが、
信なくば政治は成り立たない。日本の最高指導者として不適格なことは明白である。



 ■「訴追逃れ」では論外

 代表選は小沢氏と菅直人首相の一騎打ちになる情勢だ。首相も参院選で大敗した
のに、なぜ続投するのか。説得力ある説明に欠ける。さらに両氏以外の選択肢もな
さそうな点に、日本が滅亡の淵(ふち)に立つ窮状が示されている。


 小沢氏は野党の再三の証人喚問要求を拒み、説明責任を果たしてこなかった。
役職辞任というけじめはつけても議員辞職に相当するとの厳しい批判があるなか、
政治的・道義的責任を取り切ったとは言い難い。そのうえ刑事責任の有無を今も
審査されている。

 
小沢氏の出馬について、強制起訴を逃れることが目的ではないか、との指摘が党
内外にある。憲法75条が「国務大臣は首相の同意がなければ訴追されない」と
定めていることから、首相になることで「政治とカネ」の問題に決着をつけよう
というものだ。


だが、憲法は「すべて国民は法の下に平等」(14条)ともうたっている。その
ような意図を疑われること自体、為政者たる資格はないだろう。


 小沢氏サイドから「仮に首相になったとしても東京地検特捜部の再聴取に応じる
」との考え方が示されているが、そもそも捜査の対象となる人物を首相に押し立
てること自体、理解しがたい。


 小沢氏が中央突破の姿勢を貫こうとすることは、法治制度の根幹を揺るがしか
ねない。小沢氏とすべての民主党議員が、はっきりと認識すべき点だ。


 小沢氏は出馬を固めた理由の一つに、首相が挙党態勢作りを拒否したことを
挙げた。「小沢氏はしばらく静かにしていた方がいい」と述べた首相が、党人事
などを通じて実際に「脱小沢」の姿勢をとったことへの不満である。


 小沢氏側の意向を鳩山氏が菅首相に伝えたものの受け入れられず、代表選での
対決に踏み切った。このような主導権争いや政治的地位を保つための権力闘争は
「私闘」ともいえ、情けない。


 昭和60年、衆院議院運営委員長だった小沢氏は政治倫理審査会の「生みの親
」だ。同時に政治倫理綱領を「疑惑をもたれた場合にはみずから真摯(しんし)
な態度をもって疑惑を解明」すると定めた。平成5年の著書「日本改造計画」で
は、政治資金規正法の違反者に対して「言い逃れを封じるための連座制の強化」
などを挙げ、規正法改正を実現してきた。


 その小沢氏が国会で説明もせず、規正法の網を巧みにすり抜けているのでは、
国民の政治不信が強まるのは当然だ。



 ■早急に国民の信問え

 密室談合による調整を進めてきた鳩山氏の行動も、あきれ果てる。鳩山氏は母
親からの巨額の提供資金の取り扱いをめぐる疑惑を招き、その使途に関する説明
をまったく果たしていない。「政治とカネ」で国民の信を失った当事者だ。首相
退陣後は政界を引退すると述べたこともあるが、一体どうなったのか。


 日本はいま、内政、外交ともに国難ともいえる状況に直面している。経済面では
急速な円高・株安への対応で、政府はなすすべもない。さらに、中国の軍事力の
強大化が日本周辺で脅威になっているにもかかわらず、米軍普天間飛行場移設問
題の解決はいまだめどが立っていない。日米同盟関係の空洞化は、日本の平和と
安全を危険にさらしている。



 党内の権力闘争に血道を上げている状況ではない。参院選での敗北以降、責任を
取らず、けじめもつけようとしない菅首相が、2カ月以上にわたる政治空白を作
っている。その政治責任は重い。



 小沢、鳩山、菅3氏による政権たらい回しと無責任な対応は許されない。だれが
民主党代表となり、首相になっても早急に国民の信を問うことを強く求めたい。


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(いかがでしたでしょうか。では、以下の記事を。この方は、どうやらアメリカや
イギリスの政治などに関心があり、法律関係の仕事をなさっている方のようです。)


Nothing Ventured, Nothing Gained.
社会問題、国際問題など幅広い事柄に私見を述べる匿名ブログ
http://esquire.air-nifty.com/blog/2010/08/post-0c4d.html
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小沢氏の出馬表明を冷静に受け止められないメディアと踊らされる国民



今日の話題はメディアの飯のタネとしては、格好のネタである小沢氏の代表選出馬
表明について、メディアのようなドンチャン騒ぎとは一線を画して、つとめて冷静
な視点で、これを評価してみようと思う。


次の首相を選ぶことに直結する民主党代表選挙の舞台は整ったようである。


そうであっても、私の民主党に対する根深い不信感は消えないし、民主党が失格で
あるという烙印も消すことはできない。


もっとも、小沢氏の出馬により、今後3年間の日本の国のあり方、昨年の衆議院選挙
で掲げたマニフェストの実行という点が再度議論され、マニフェストを反故にした
ことへの反省と政権交代の原点回帰がなされるとするならば、これは歓迎すべきこ
とである。


そもそも、私は何度もこのブログを通じていってきているように、民主党のマニフ
ェストについて、賛同しているわけではない。


しかし、民主党は、「公約→政権公約マニフェスト」と言い変えて、さらに、
長妻厚生労働大臣の言葉を借りれば、「マニフェスト民主党議員と有権者との
契約である」とまで言い放ったという事実を我々は忘れてはいけない。


そのマニフェストの実行がなされず、普天間問題では、沖縄の有権者との約束を
反故にし、期待を裏切った姿を見て、全国の有権者は、鳩山由紀夫氏が率いる民主党
政権に愛想を尽かした。


そこで、鳩山路線の継承を掲げた菅直人率いる政権が誕生するも、この政権は何を
勘違いしたことか、マニフェストは説明なく反故にするし、しまいには有権者
半分近くが批判的な消費税の増加議論を軽々しく口にし、しかも、今まで散々批判
してきた自民党の消費税10%案を飲み込むような発言を選挙期間中にしてしまう
のである。


これでは、去年夏の民主党支持者にとっては、「言っていたことが違うだろ?」、
「もう無駄は無いと思って増税議論しようという認識か?」、「財務官僚に抱き
込まれてるだけだろ!」、「バカなのは官僚じゃなくて菅だろ」と感じたのでは
ないだろうか。


案の定、有権者の支持を失い、参議院議員選挙民主党の大敗ともいうべき議席
で終わったが、この結果の責任をだれも取ろうとしなかったのが、菅直人率いる現
執行部である。



それをごまかすかのように、菅政権は、直ぐに9月の代表選に争点を移し、全く生産
性のない反小沢を旗印掲げた権力エゴの現実化に終始して、円高や若い人々の就職難
という日本の直面する問題に全く時間を割いていない。


ここにきて、小沢一郎という政治家が代表選に出馬すること自体は、私は大いに歓
迎すべきであると考える。


ただし、間違って理解してほしくないのは、私は小沢一郎が代表になれば民主党
希望が持てると言っているわけではないし、私もそうは思っていない。


この出馬表明により、菅直人率いる子ども内閣、子ども執行部の下らない好き嫌い
というような幼稚な「脱小沢」の議論から、政策議論に移ると考えられ、ここで改
めて、マニフェストへの回帰が検討されることは好ましいと思っているに過ぎない。


この点は、冷静に肯定的に評価すべき点である。


また、小沢氏の出馬について、ここぞとばかりに検察審査会の件を背景として、
「違法なことをしたのに首相にするのはおかしい」という見解をもっともらしく
主張している人々がいるが、法律的な思考に照らして考えれば、これは全く説得力
の無い無知な方の見解であるといわざるをえない。


起訴すらされておらず、有罪の確定もない段階では、刑事責任の関係では、完全な
白として扱うべきとするのがルールである。


にもかかわらず、「小沢は疑わしい、説明をしないから黒だ」という前提は、バカ
なマスメディアの受け売りの主張しかできない人間が、自らが、法律知識において、
無知であることを告白する以外の何物でもない。


これに対し、憲法上の規定を理由にそのような人物が首相になるのはふさわしくな
いという主張がある。既に、ニュース番組や新聞記事などで散々このような論調の
主張が公平であるはずのメディアから飛び交っている。


これも、主観的な価値観が先行しており、憲法上の規定の存在意義を解っていない
非常にレベルの低い議論である。


憲法75条は、「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追さ
れない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。」と規定する。


この趣旨を、「検察行政は、内閣の統括下にあるとはいえ、職務の性質上、ある程度
独立性が保障され、政治から中立に職務を遂行すべきものであるため、このことが結
果的に内閣の職務遂行を阻害することがありうることに注目しておかれた規定」と通
説は解し、他方、多数説は「検察機構の政治的圧迫から内閣を保護するためのもの」
と解している(野中、中村、高橋、高見、「憲法Ⅱ」p176-177)。


いずれにしても、検察審査会で起訴相当決議がでるような人物が総理大臣になるとし
ても、それ自体を妨げる規定はないし、むしろ、憲法はそうした事態に対応した規定
を置いているのであって、ふさわしいかどうかというのは、個々人の主観的価値判断
の先行に過ぎず、憲法に照らして考えれば、全く説得力の無い空虚な主張といわざる
をえない。


また、「小沢氏は起訴を免れるために、首相になろうとしており、この規定を悪用し
て、刑事責任を逃れようとしている」という主張も、まったくもって説得力に欠ける。


既に、法的センスのある方はお気づきであろう。


注目すべきすべきは、憲法75条の但書部分である。


「これがため、訴追の権利は害されない。」


日本国憲法が極めて優秀なのは、こうした但書を設けていることで、75条本文の悪用
を防ぐことを想定していたのである。


つまり、国務大臣の職から離れれば、起訴されるのである。


通説(前掲野中他 p177)は、「(訴追)のための準備として証拠の保全等必要な措置
は、大臣の職務遂行を阻害しない限り、行いうるし、最も重要な点として、公訴時効
は停止すると解される」と考えている。


このように、小沢一郎が仮に総理大臣になって、憲法75条の規定を使い、訴追の不同
意をしたとしても、国務大臣の職から離れれば、起訴されうるし、有罪が確定すれば、
刑に服することになるのであって、刑事責任の回避のために、憲法75条を悪用する
ことは不可能である。


しかし、浅はかなマスメディアはもちろん、小沢一郎に対し、有罪のイメージを植え
付けようとしている人々は、憲法75条本文には言及するものの、但書の存在とその意
味については全く説明していない。


これは立派な印象操作であるし、いわゆる、洗脳に近いメディアによる事実の歪曲で
ある。


そして、メディアの論調を聞いて知ったかぶりをしたい人々は、ろくに憲法の規定を
見ることもなく、「小沢はこの規定を悪用して、刑事責任を逃れようとしている」な
どと法的センスゼロの主張を恥かしげもなくしてしまうのであろう。


また、こうした主張が民主党執行部の議員、つまり、法律を作る立法者からすら出て
くるのであるから、本当に法律のセンスがない無能な立法者が多くの税金を無駄にし
ていることが良く解る。


以上の理由から、私は小沢一郎が代表選に出馬したこと自体は、政策議論がやっと
始まるという点で、肯定的に評価したいし、彼が次の総理大臣にふさわしいか否か
は代表選までの彼の言動に注目して、改めてゼロベースで菅首相よりふさわしい人
物なのか評価したいと思っている。


私は、扇動政治家や扇動マスメディアに乗せられないように、有権者である個々人
が、広く情報を集め、その真偽を常に確かめながら検証することが、主権者として
の非常に重要な責務であると改めて感じる。


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(圧倒的な発行部数を誇り、社会の公器をもって自認するマスメディアなら、政府
与党の代表選挙戦があるというときの報道の仕方は、むしろ、このブログ氏のように
どちらにも偏らない、与しない立場から、発言するのが妥当というものではない
でしょうか。


一個人のネットメディアと、マスメディアと、その言論のバランスのとり方、まったく
逆になってしまっている。)