休業する上杉隆最後のメッセージ・・・・生きよ、堕ちよ

宣言どおり、日本でのジャーナリズム活動は休業するそうです。
休業するかわりに、これまでの40万枚あるオフレコ懇談記事を順次公開してゆくと
いうことです。


もし、そのことによって何かあっても、順次起爆してゆくように手筈を整えた末の
ことのようです。
ジャーナリスト上杉隆は、一般大手新聞記者のごく世間並みの欲望としての上昇
志向に対して、別の地点に立って相対化しつつフリージャーナリストであってきた
のですが、それはまだ彼らと対等の平地に立つものであった。


しかし、彼はいま、どうやら加速度をあげて下降し始めた。
自分のとる道は、堕ちていく道だ。
そういう自覚と決意のもとに、下降していこうとする。


よきかな、上杉隆


その最後の稿を読んでください。
なぜ、こういう決意をしなければならなかったか。
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http://diamond.jp/articles/-/15455
堕国論Ⅲ


(略)



「記者会見をオープンにしてください。まもなく世界中から一線級のジャーナリストたちが日本に到着します。その時に政府の会見をクローズドにしていたら、まちがいなく情報隠蔽を疑われます。そしてそれがデマとなり、世界中で日本政府の信用、さらには日本の国家全体の信頼を堕とすことになります。最初が肝心です。放射能事故の際はなおさら完全な情報公開が必要です。なんなら、私は入らなくてもいい。とにかく、外国人記者だけでもいいから会見に入れてください」
(こんな懇願をしなければならない民主主義国家なんて、あるか? 100時間懇願しつづけて、結局むだだった・・・・)


 官邸の脇、途中からは国会議事堂前の坂道に自動車を止め、筆者はこうした電話を繰り返し繰り返しかけ続けた。相手は内閣官房、閣僚、民主党幹部、秘書、党職員、そして官邸中枢だ。


 だが、その震災後の100時間ほど、筆者の人生において無力感を覚えた時間はなかった。



 官邸の笹川武内閣広報室長(当時)、西森昭夫内閣参事官(当時)は相も変わらず、煮え切らない態度を続けている。私の口調は徐々に荒くなり、3月14日以降の電話では、ほとんど怒鳴ることが続いていた。



原発事故だ。原発事故! 人の命が懸かっているんだ。国民の命だぞ。お前ら役人に何の権限があって情報を遮断するんだよ。とにかく、こちらには現地の情報があるんだ。フリー記者、海外メディア、自由報道協会の記者たちが現場に入り、そこの情報を持っているんだ。ガイガーカウンターで測定した数値もある。こんな時に政府を批判しようなんてジャーナリストなんていないよ。いいか、おい、記者会見は質問ばかりではない。記者が政府に情報を伝えるという機能もあるんだよ。とにかく、早く官房長官、副長官でもいいから伝えろ!」


 前の日の3月13日、筆者は原発から3キロメートルのところに到達した広河氏と電話で話していた。


 広河氏は、子どもたちの遊ぶ病院の敷地内で3つあるガイガーカウンターを稼動させた。すべての計器の針は振り切れ、それは20年来チェルノブイリを取材している広河氏にとっても初めての経験となる恐ろしい出来事であることを示していた。


(略)


 また、ちょうど同じころ、自由報道協会所属のフリーライター島田健弘氏の知人の自衛隊員が、福島第一原発への最初の突入を試みていた。それは初めての現場の声として、筆者らの背筋を凍らせるに十分な情報だった。

「ダメだ。遠くに避難しろ。ここは無理だ」


 島田氏は迷いながらもそれを自由報道協会メーリングリストにアップした。情報源との兼ね合いなどもあるものの、人命救助を優先させた末の判断だった。


 その時期、そうした決断をした人物はほかにもたくさんいる。三号炉の緊急冷却装置の設計者でもある上原春夫・元佐賀大学学長もそのうちのひとりだ。


「燃料棒が空気に触れている今、メルトダウンは確実に始まっているんだよ。緊急冷却装置を作動させ続けて、時間を稼げば、どうにか対応できるんだよ。なんで、動かさないのかな。上杉さん、伝えてくれよ」


 上原氏による原子炉のメルトダウンの可能性にかかる重要な情報は、翌14日、氏を紹介してくれた原口一博総務大臣の口から、直接、官邸のオペレーション室に届けられた。


 その原口氏は今回の震災後、もっとも献身的に行動した政治家のひとりである。仮に原口氏がいなければ、福島の原発はもっと酷いことになっていたに違いない。それは断言できることだが、残念ながらその原口氏の評価は低いものとなっている。


 なぜか。それは記者クラブメディアが自らの「誤報」を隠すために、原口氏を悪者に仕立て上げることを続けているからだ。その証拠はたくさんある。だが、そのすべてをいま明かすことはできない。ただ、筆者はその証人でもあり、確固たる自信をもって原口氏の涙ぐましい努力の数々を証言することができる。
(わたしは、ツイッターで原口さんが、どのように放射能汚染に対処したらいいか、落ち着いた調子で、しかし具体的な対処法を流しつづけていたことを記憶している。そのツィートで、これはたいへんなことなのだということがわかった。枝野が「ただちに健康に影響はない・・・」などとまやかしを言い続ける裏側で、本当の危機管理をしつつ、国民に報道をしていたのは原口一博の方だった。)


(略)


だが、当時の官邸は、いや現在もそうだが(この現在もそうだが、というのが情けない・・・・)、完全に機能不全を来たし、そうした献身的な人物たちが寄せる情報を吸収する余裕はなかった。むしろ、官僚と記者クラブが伝える偽情報ばかりを信じ、逆に、現場からの正しい情報を排除するという過ちを繰り返すことになる。



 それは9ヵ月後のきょう(12月22日)、ようやくメディアが当時の真相を明らかにし始めたことでも、本コラムの読者のみなさんならばすぐに理解できるだろう。



東京電力福島第一原子力発電所の3号機で、水素爆発を起こす前日の3月13日に、現場の運転員が非常用の冷却装置を所長らがいる対策本部に相談せずに停止し、原子炉を冷やせない状態が7時間近く続いていたことが、政府の事故調査・検証委員会の調べで分かりました。

(略)
(12月22日NHKニュース)。


こんなことは3月13日、遅くとも15日までにはすべてわかっていたことだ。結局、筆者らがずっと指摘してきたように、今回の原発事故は「人災」だったのだ。


 だが、NHKをはじめとするメディアは当時、そうした可能性を一切報じなかったばかりか、真実を口にする者を次々とメディアの世界から追放しはじめたのである。


 果たして、戦時中の「大本営」を髣髴とさせるそんなことがこの現代日本に起こるのだろうか。いや、実際にそれは起きたのだ。


 政府と記者クラブは、3.11を境に事実上、自分たちと論を異にする言論人たちを社会から遮断し続けた。それはチュニジア、エジプト、リビアの独裁者たちが行った情報隠蔽とまったく同じ構図である。わたしたちは、こういう国に生きているという自覚を少なくとも持つ必要がある。「言論自由な、民主主義国家」に生きているなどと、幻想をもっていてはならない。現実を直視せよ!)


仮にあの三月、ジャーナリストの日隅一雄氏がいなかったら、あるいはフリーライターの木野龍逸氏がいなかったらと考えると筆者は暗闇に落ちるような錯覚を覚える。

 とくに日隅氏は、自らの本業である弁護士業務をすべて中断させ、東京電力本店に通い続けた。あの底冷えする暗いロビーに座り込み、記者クラブの記者たちが独占している椅子の隅で立ち続けていた日隅氏。体調不良を洩らすも、彼の使命感は東電会見から離脱することを許さなかったのだ。


 その結果、5月、耐えに耐えた末に向かった病院で余命半年の末期がんを宣告されることになる。だが、それでも、日隅氏は政府と記者クラブの隠蔽に立ち向かい続けた。(日隅氏という方、知りませんでした。こういう人もあったのだ。)


 週に2回開かれる統合対策本部の記者会見に姿をみせ、弱って痩せ細ったその体から、か弱き声をマイクにぶつけ、文字通り命を賭けた質問を繰り返している。


 12月、日隅氏の余命はマイナス一ヵ月になった。それでも彼の姿は東京電力本店に認められていた。咳き込みながらも、いつものように鋭い質問がマイクを通じて繰り出される。だが、いまの日隅氏に残された力はそこまでだ。質問を終えると机に突っ伏す。そして肩で息をしながら、その耳で回答を聞くのがやっとのこともあるのだ。


 しかし、政府・東京電力は、その日隅氏の唯一の心の叫び場である会見を閉鎖することに決めてしまった。なぜ、政府と東電による統合対策室は命の明かりを灯しながら、真実に向かって戦う者を排除するのか。細野豪志原発担当相によると、会見の閉鎖というそのアイディアは同業者、つまり、筆者たちとおなじ記者からもたらされたものだという。記者クラブの記者はそこまで腐りきっているのか。


(略)


日本という国家が彼らを救済することは絶対にないだろう。なぜならこの9ヵ月間、どんな死因であろうが、政府と東京電力は一例たりとも放射能の影響による健康被害を認めていないからだ。


 政府・東京電力は賠償逃れを確定させるため、今日の今日までこの事故が「人災」であるということを伏せ続け、代わりに「津波」や「地震」のせいにし、時間稼ぎをしているのである。そして、原子力賠償法に基づくそうした賠償逃れの片棒を担いできたのがメディアだ。記者クラブという世界でも稀に見る不健全な利権システムを完成させた大手メディアの記者たちだ。それはまさしく「大本営発表」以外の何者でもない。


(略)


ここでいう「顧問」とは、内閣総理大臣特別顧問で連合の笹森清のことである。それにしてもこの緊張感のなさは何なんだろうか? こうしたやり取りをずっと続けて、原発事故の本質については何も報じない、それが記者クラブメディアのやり方だ。


 だが、報じない代わりに、上司を喜ばせるだけのこうした「懇談メモ」を作り続けている、それが、悲しいかな、日本のジャーナリストたちの主たる仕事なのである。筆者は彼らに対して、心からの同情を禁じえない。同時に、大いなる軽蔑の目をも向けざるを得えない。そう、筆者の手元にある40万ページにも及ぶ「記者メモ」のほとんどは、こうした政局ネタばかりなのである。


 筆者は、本稿をもってジャーナリストを休業する。それはフェアでない言論空間しか持たない現代日本社会への絶望に対してではない、同業者たちへの大いなる抗議の意味と、新しい日本を築くためのひとつの方法論としての休業である。


 日本は一度堕ちるところまで堕ちなければならないのかもしれない。


(略)


大本営メディアによるこの腐敗したシステムはいちど滅ぼさなくてはならない。そのために筆者はアンシャンレジームとともに堕ちる道を覚悟している。自ら、そのシステムもろとも地獄に堕ちる以外に日本のジャーナリズムを再生させる道はない。


 その最初の一撃が40万ページに及ぶ、「懇談メモ」と称する、政府とメディアの談合の「証拠」を公開していくことだ。



 なにより、まず、この「談合」の実態を本コラムの読者に問いたい。それでもなお、みなさんは政府を信じ、そしてメディアを信じることができるだろうか。


結論は各人の自由である。だが、その結果、そうでないと感じ、その革命のためになにかをしなくてはならないと思えば、ぜひとも行動に移してほしい。


(略)


 ひとりひとりができることを考え、そして実際に行動に移すだけいいのである。ともに堕ちる覚悟さえあれば、きっと日本は変わるだろう。いや、それ以外にこの日本を救う道はないのである。


「生きよ、堕ちよ」


 まさしく65年前に安吾の書いたこの言葉こそ、すべての日本人に欠かせない言葉だ。未来の日本人のために一緒に堕ちようではないか。それがジャーナリストとしての私からの最期のメッセージである。

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