金曜官邸前抗議行動主催者の政治的取り込みが始まった

巨大化した、もう無視できない、とめられないうねりとなった、官邸前反原発抗議行動。
この主催者たちの、政治による取り込みと、懐柔が始まったようです。


ドイツからの子安宣邦さんのツィートです。


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ミュンヘンの中央駅に行って朝日の国際版を買ってきた。「国会を囲む原発NO」の見出しの記事と写真を一面のトップに見て、「抗議開始4ヵ月」(副見出し)でやっとここまで来たかという感慨をもつ。ことに朝日について。


だが2面の詳報の見出し「脱原発・脱政治色」に、朝日デスクの実に陰険な政治性を見る思いがした。なぜ反原発抗議集会を脱政治化するのか。この抗議集会は原発再稼働・原発体制の持続という政治的決定に抗議する政治的な行動である。なぜこれを脱政治的な集会として報道するのか。


朝日の抗議集会の報道には、市民の抗議行動の脱政治化、社会現象化がともなわれるように思えてならない。先日の小熊英二社会学的考察を載せる大きなインタビュー記事を見て直ぐにそう思った。抗議運動の関係者は〈社会現象〉化したことを歓迎しているようだが、これは落とし穴かもしれない。

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NHKクローズアップ現代も、社会現象化を中心にした取材でした。
鳩山元首相がデモでスピーチをしたとたん、エセ市民派菅直人元首相ががぜん張り切り
だしています。今日は、以下のような企画があるようです。
IWJで、どちらも中継するそうです。

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岩上安身 どちらも中継。 RT @RisingBB: IWJのダダ漏れ希望(^_^)ノ "@yoniumuhibi: 阿部知子辻元清美菅直人が、反原連取り込み工作の「対話」をする(17:30-19:00)同じ時間、福島瑞穂は、広瀬隆落合恵子原子力規制委同意人事で緊急記者(略)"


アルルの男・ヒロシ@どうにもなりません ‏@bilderberg54
朝日:「国民の自発的活動」 菅氏、官邸前の抗議行動を評価 http://bit.ly/OFhgFu そのうえで、抗議行動を呼びかけている市民団体と31日、意見交換をする考えも明らかにした。高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の視察後、記者団に語った。

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市民ひとりひとりが政治的行動をとらなければいけないのだ、という、民主主義国家
にあってはごくまっとうな政治参加への自覚がようやく日本人にも兆したのであって、
付和雷同の「社会現象」なんかではまったくない。


ひとりがひとりの声を出す。出さずにすますことは、もうできない。


そういう危機感をもっての抗議行動参加であることが、既成のマス・メディアの連中
にはまったく見えないのか、あるいはそうあっては困るのだろう。


以下は、子安さんのツィートを付録に。

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26日にミュンヘンに来た。ドイツが日本とちがって脱原発の政治的決定をなぜいち早くなしえたのか、だれかに聞きたいものと思っていた。成田空港の本屋で時間つぶしをしていたら、熊谷徹氏の『脱原発を決めたドイツの挑戦』(角川SSC新書)を見つけた。それを買ってドイツに来た。


熊谷さんは90年以来ドイツ在住のジャーナリストである。時差ボケでもやもやしながら、読み始めたが、私がドイツで聞きたかったことのすべてがここに書かれていると思った。ぜひお読みになることを進めたいが、読み始め、黙している事の出来ない二三のことを記したい。


昨年6月30日のドイツ連邦議会で2022年までに原発を完全に廃止することを決定したが、これに大きな力をもったのが、メルケル首相の脱原発の決断であった。原子力擁護派の彼女が原子力批判派に転じさせたのは福島原発事故の衝撃である。事故が彼女の原子力リスクに対する見方を変えたのだ。


「実際に原子炉事故が起きた場合、被害は甚大かつ広範囲に及び、他の全てのエネルギー源のリスクを大幅に上回ります」とメルケルはいっている。彼女が原発廃止に踏み切る上で、さらに重要なことは、技術者よりも「市民の視線」を重視して、原発に別れを告げたことだと熊谷氏はいっている。


メルケルが採用したのは原発の安全を保証した「原子炉安全委員会」の鑑定書ではない。彼女が採用したのは、一刻も早い原発廃止を提言した「エネルギー供給に関する倫理委員会」の勧告であった。この委員会は社会学者・哲学者・宗教関係者などからなり、原子力専門家・電力会社関係者は一人もいない。


ドイツでは福島事故以後、「技術者のリスク評価への不信感」は一段と深まったという。原発事故当事国の日本の首相が、〈信用できない〉専門家たちの安全の保証にひたすら依拠し、産業界の要請だけを受けて原発再稼働を決定していくことをわれわれはどういったらよいのか。


もちろんドイツを原発廃止の決定に導いたのはメルケル首相一人の決断によるのではない。その決断をもたらした決定的なものは民意である。このままでは有権者に見放されるという確信が、彼女の原子力との訣別に駆り立てたと熊谷氏はいう。


ここからすでに60年代に始まるドイツにおける反原発的社会運動の蓄積とこの社会運動を政治過程に結びつけ、政治的に表現せしめていく〈緑の党〉の存在の意味とがわれわれに課題を提起する。


70年代にドイツに滞在していた時期、親と子・世代間で原子力利用をめぐって激しい論争をしていたことを思い出す。息子・娘たちは「あなたたちは後の世代にとんでないリスクを残していくのか」と喧嘩ごしで親たちにいっていた。その息子・娘たちがドイツの反原発を支えているのだろう。


ドイツの原発廃止を導いたものとして熊谷氏は、いくつかを挙げている。一つは原発反対運動が、地域的、一時的であることをこえて全国的な、長期の環境問題と結びついた社会運動になったこと。二つは原子炉運転許可の権限は地方政府がもっていること、したがって住民の意思を反映せざるをえないこと。


中央政府からの地域対策交付金などはない。もう一つ大事なことは、ドイツのジャーナリズムの多数派は原子力批判派であること、「原子力安全神話」を業界に代わって宣伝することなどはないことである。これ以上は、ぜひ熊谷氏の著書を直接お読み下さい。