国民の生活が第一党の、ドイツの脱原発政策視察。・・・by 在ドイツフリージャーナリスト

新聞テレビでは、小沢一郎一行のドイツ視察は報じているのでしょうか。
・・・たぶん、ないですよね。。。


IWJなどが会談の内容を実況中継したりしています。
通訳つきですから、中継見ている側としてはまどろこしいのですが、
政治家たちが視察している場面、だけでなく、その時間も共有すると、これまでより
政治というものが一層身近には感じられる効果はあります。
が、特にここにアップしたいというような気持ちにまで高まらなかった、というのが
本音です。


さて、今朝は、それに関するとても良い記事を発見。
(どんぶらこと流れてくるtweetsのなかから。)


在ドイツのフリージャーナリスト梶村太一郎氏のブログです。
自己紹介は、
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ーー 1946 年岡山県津山市生まれ。フリージャーナリスト。ドイツ外国人記者協会会員。74年以来ベルリン在住。86年作家小田実市民運動交流団体「日独平和フォーラム」立ち上げ。96年「ガス室否定論」を批判以来、日本の論壇で台頭する歴史修正主義批判を継続。2001年ドイツ人良心的兵役拒否者の日本での兵役代替役務を実現。『週刊金曜日』、『世界』等に寄稿多数
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このかたの記事で、随行している弁護士河合弘之氏がどういう方か、よくわかりました。
もと維新の会のブレーンだったが、橋下に失望して、最近小沢に接近と、ツィッター知識でしたが、
なかなかの筋金入り反原発弁護士です。
こういった消息も含めて、ドイツ在住者としてドイツの政治状況の文脈もわきまえた、たいへん
優れたレポートとなっています。
こんな広い視野をもった優れた記事が、日本の新聞紙上で読めるようになったら、一発で政治状況も
変わるのに。ほんとに残念。
しかし、希望も感じる。


以下、視察レポートの詳細は、ブログを訪問していただいてお読みください。
写真がたくさんあります。
わたしの関心をひいたポイントのみここに引用します。


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http://tkajimura.blogspot.ca/2012/10/blog-post_20.html
2012年10月20日土曜日

121:白ネコでも黒ネコでも脱原発法支持は良いネコ/小沢一郎氏と河合弘之弁護士のドイツ視察・その2



(略)
小沢一郎氏の紹介は必要ないでしょうが、訪問団に参加している河合弁護士は、フクシマ事故後に脱原発弁護団全国連絡会を呼びかけ代表となり→脱原発全国ネットワークでは、先月、会期末の国会に提案され継続審議となっている脱原発基本法案を海渡雄一弁護士らとともに超党派の国会議員を巻き込んで市民議員立法として作り上げた、日本の筋金入りの反原発弁護士の代表格であることを、あらためて強調しておきます。



(略)
わたしはこの人物(注・小沢一郎)に初めて合ったのですが、タフです。日本との7時間の時差など無かったように昨夕に到着したばかりのこの日も、早朝からベルリンの中心を一時間ほど散歩したとのことです。
消費税が原因とはいえ、脱原発でももたつく民主党を割って新党を結成 し、脱原発の旗を揚げて、河合弁護士らの能力に注目して脱原発基本法案の国会提案に飛びついた政治感覚はなかなかのものです。ドイツを視察して、脱原発構想が夢想ではないことを実感すれば、間違いなく増々タフになるでしょう。
河合弁護士といえば、このブログでも早くから紹介しましたが、何度も日弁連環境部会のドイツ視察でお会いしています。
ずいぶん前からわたしは通訳もかねてドイツの初期の太陽光発電や、最新の原発の視察につきあったものです。



今回の訪問の連絡が事務所から あったので取材に出向きましたが、この日も施設の入り口を小沢氏と並んで入って来たとたんに、わたしを見つけてカメラの放列の前で「やーやー、梶村さん」と走って来て握手されたり、国民の生活が第一の副幹事長の松崎哲久衆議院議員には「この人はドイツの脱原発の生き字引だから」などと大げさに紹介されたりして、何度も面食らわせられました。これには、お互いに何十年も前からの高木仁三郎学校の生徒であったことが背景にあります。
 高木氏から学んで、何十年も原発差し止め訴訟で敗北に敗北を重ねて来た苦労と怒りが、この人物の今日のものすごいエネルギー源です。この日久しぶりに合って、請われて撮った写真は、ドイツの脱原発の「陽の当たる河合弘之」のポートレイトとなっています。このような河合氏の表情は滅多に観られないのではないかとおもいます。



この日、彼がわたしにぶつけた最初の質問は「ドイツ人はどうして反原発意識が強いのか理由がどうもわからない」でした。歴史的背景を説明して「それは二度と故郷を失いたくない。もう一つは二度と加害者にはなりたくないという歴史認識が根本にあるからです」というのがわたしの回答です。これについては→「フクシマが日本社会に問いかけるもの」を参照して下さい。(http://tkajimura.blogspot.de/2012/07/blog-post_28.html この記事はぜひお読みください。ドイツのメルケル首相がなぜ脱原発政策に踏み切ったか、その政治家としての現実的な動機、すごく納得させられる。またドイツが脱原発に舵をきったのに、お隣のフランスでは原発大国。この差はどこから生まれるか。第二次大戦後の歴史認識の違いからくるというのです。ドイツでは敗戦によって人口の二十%が故郷喪失したといいます。故郷喪失の痛みへの共感がそこにはあった・・・。)



(略)
ここには緑の党の代表委員としては、もちろん前項でも紹介しましたようにバーベル・ホェーンさんが話しています。この会談での彼女の特に大切な発言は、ドイツでは再生エネルギー促進で、発電主が大企業の独占体制から、発電の民主化の実現として地方自治体と市民の手に徐々に移行しつつあるとの指摘です。


(略)
この日の通訳の女性は非常に優秀な方ですが、朝からの疲れもあってか、日本を良く知っているホェーンさんが「Atomdorf=原子力村」という日本語のドイツ語直訳を使った時にとまどっておられました。原子力村はいまや日本の原子力ロビーの代名詞として世界中に知られているのです。


(略)
さて、懇談を終えた小沢氏に、感想を聞くと「日本では期限を決めた脱原発政策を持っているのが我が党一つだけであることにドイツの議員さんは驚いていたようだ」との感想でした。議員会館前でのインタヴューでは、会談で出された日本の増加するプルトニウムの問題に関しての質問に対し「原発を維持してプルトニウムを保持することが日本の抑止力となるとの主張があるが、内外に余計な誤解を生むだけであるから、そんなこことは発言すべきではない」との旨の返事がありました。
これは正論であり、わたしも全くその通りであるとおもいます。最近のこの手の発言は、ドイツのメディアでも極右政治家の本音として報道されています。日本を危険視しているのは決して中国、韓国などアジア諸国だけではないのです。


(略)
 この訪独団は日本の圧倒的多数の願いである河合弁護士らの苦心による 脱原発基本法という希望の鈴を進んで身につけて実現しようとする日本の政治家の方々です。
80%の市民が脱原発を支持し、再生エネルギーで持続可能な社会を実現しつつあるドイツの現場を訪れて、この構想の実現こそが危機にある日本が立ち直る、最善で最短の道であることを小沢氏らは確信されるでしょう。
また、ドイツでは、大飯の再稼働にもかかわらず、日本がドイツを追い越してもっと早期に脱原発を実現するのではないかとの見通しもあることを皆さんに伝えておきました。知日派のドイツ人は日本人には思いがけない能力があることもよく知っているのです。



日本の皆さん、白ネコでも黒ネコでも脱原発法を支持するネコは日本を救う良いネコです。近いうちに、おそくとも来春あたりには総選挙があるでしょう。市民の力で政治家たちに脱原発基本法という鈴をつけて回りましょう。国会議員の過半数が鈴をつけるか否かに日本社会の将来はかかっています。



河合弘之弁護士の名刺には彼の信条として以下の言葉があります。


気宇壮大
本気ですれば大抵のことができる
本気ですれば何でも面白い
本気でしていると誰かが助けてくれる


これは1944年に中国で生まれ、敗戦の引揚者として生き延び、その原体験から弁護士として1250人の中国残留孤児の日本国籍取得を実現した実績のある人の信条です。
ドイツ市民が敗戦による領土喪失と故郷追放の体験から反原発の意思を固くしていることは彼には実感としてよく理解できるでしょう。おそらく二年若い戦後生まれのわたし以上に。
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本気ですれば大抵のことができる。本気ですれば何でも面白い。本気でしていると誰かが助けてくれる。
いいですねぇ。


小出裕章京大助教といい、この河合弘之弁護士といい、こういう勇気ある生の時間を過ごしている人々がいる限り
この世も捨てたものではありません。
類は類を呼びます。
政治家としての小沢一郎のもとに、こういう筋金入りが集まってくることをうれしく思います。