自民党の異様な最後の選挙演説(秋葉原) & 格調高い東京新聞社説
異様なんですよね〜。
ほかにも「安倍救国内閣」と左右に垂れ幕のある大会写真や、路上にずらりと整然と日の丸の旗が
並んでいる街頭演説風景の写真とか、見たことがあるのですが、
嘘ではなく、この自民党応援風景。
昨夜、たまたま居合わせた方のツィートで流れてきていたのですが、
アップが今日になりました。
you tubeもあがっています。
このブログで一部始終を報告してくれています。
いくつも写真がついています。
http://ameblo.jp/c-dai/entry-11427934385.html
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秋葉原の駅前は、異様な熱気に包まれており、どこで用意したのか、日の丸を持った人たちが大量に終結していました。
自民党の安倍晋三、麻生太郎が最後の演説に選んだ場所、それが「秋葉原」だったのです。
ちなみに、ご存知ない方も多いと思うのですが、秋葉原では麻生太郎が大人気。その理由は、麻生さんが「ローゼンメイデン」というアニメが
好きだという都市伝説が広まり、すごく親近感を覚えたのだと思いますが、「俺たちの麻生」と言われるようになりました。
これからの政治を、ガンダムをバックに語る自民党議員の皆様。なんというカオスな光景!
ちなみに、カメラをズームしているから写真を撮れていますが、実際には全然近づけません。
秋葉原の駅前に、めちゃくちゃたくさん人がいる。
今どき、AKB48が出てきても、ここまでの騒ぎにならないんじゃないかっていうほどの大熱狂ですよ!
どれだけの国旗が揺れているのかがわかるでしょうか。ちなみに、手前の方がスカスカなのは、「SPゾーン」だからです。
中略
AKB48の前に、大量の日の丸。
登壇する議員が、「こんばんはー!」と言うと、群衆たちは、元気に「こんばんはー!」と返し、異様な盛り上がりを見せていました。
中略
戦争を放棄し、「平和主義」を掲げた憲法を新しい憲法に改正し、自衛隊を軍隊にしよう。
今回の選挙で、そんなマニフェストを書いた自民党に、強い期待感を抱く秋葉原の人々。
これが日本の現実!
いや、もっとスゴい現実が待っていました。
麻生太郎、安倍晋三総裁の演説に聞き入り、大声援、大拍手で大盛り上がりだった秋葉原。
演説終了後、朝日新聞に対して罵声が飛び、「ぶっ潰せ、ぶっ潰せ、朝日!」のシュプレヒコールが始まり、人々が思い思いに叫びます。
「日本にインフレを起こせ!」
「日銀の白川総裁をぶっ潰せ!」
「朝鮮人を追放して、日本を守れ!」
えっ!? 自民党に期待していることって、そういうことなんですか? 驚いて見ていると、群衆が集まり、ちょっとしたミーティングっぽい
雰囲気になりまして・・・、
「君が代」を大熱唱!
さらに、みんなに言いたいことがある人たちが次々とその思いを語り出し・・・!
「NHKを解体しろ!」
「朝鮮人・中国人の日本侵略を許すな!」
「朝鮮人は全員、日本から出て行けー!」
そして、最終的に「私はネトウヨではない!
愛国者だ!」という女性が出てきて・・・、
中略
自民党を応援している人が、全員、このような思想を持っている人ではないと思いますけど、
日本の新しい黒歴史が始まろうとしている!
そう思わずにはいられません。
以下略
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わたしもときにNHKや朝日の批判はしますけど、この人たちの「ぶっつぶせ」は、
あれでも左寄り過ぎるという意味なんでしょうか。
今日の選挙結果が恐ろしい・・・・。
こう書いてツィッターに戻りましたら、今日の東京新聞社説が流れてきました。
昨今めったにみない、社説らしい社説。
すばらしいです。ぜひ、全文をここに紹介しておきたい。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012121602000124.html
衆院選投票日に考える 歴史に学ぶ「明日」を
私たちの立ち位置、日本の将来、世界への貢献。「災後」初の国政選挙では、未来の日本人から有権者の選択が凝視されている気がしてなりません。
「この国のかく醜くもなりぬれば捧(ささ)げし命ただ惜しまるる」
先の大戦で夫を亡くした九十二歳の女性の歌。今回の選挙戦で、この歌を随所で披歴したのは石原慎太郎日本維新の会代表ですが、維新の会や自民党が「改憲」「国防軍」などを公約に掲げたことに中国、韓国だけでなく米国からも懸念の声があがりました。
生きていたら歌の女性より三歳年下の旧陸軍特別攻撃隊員・上原良司氏は六十七年前の「遺書」に次のように書いています。
◆自由主義こそが本性
「私は明確に云(い)えば、自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。これは、馬鹿(ばか)な事に聞えるかも知れません。(中略)しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそ合理的なる主義だと思います」(岩波文庫新版「きけわだつみのこえ」)
一九四三年、上原氏は慶応大学生から特攻隊員になり、東京・調布飛行場で短期の訓練を受け、四五年五月、沖縄沖で米機動部隊に突入して戦死。二十二歳でした。
昨年、調布市内で開催された「上原良司と特攻隊」展で辞世の句(春雨や思ひすてたる身も散るる)とともに展示された「訓練ノート」を見ました。「自分は全体主義ではない。自由主義を信奉する」との記述に、検閲した上官が「全体主義の重要性」を朱筆で細かく書き加えています。鉄拳を加えられたか、間もなく出撃だからと大目に見られたかは分かりません。
彼が自由主義を信奉したのはイタリアの哲学者・歴史学者ベネデット・クローチェ(一八六六〜一九五二)の影響でした。
◆未来に託した「散華」
クローチェは同国上院議員に当選した頃はムソリーニ支持でしたが、次第に反ファシズムに転じムソリーニ攻撃を強めます。「自由な心が欠如していれば、どんな制度も役に立たない。自由な心が存在すれば、どんな制度もそれぞれの時代と場所に応じて立派に役立つ」と強調しました。
三九年に出版された「クロォチェ」(羽仁五郎著、河出書房)に上原青年は、もう一つの願いを託しました。本のところどころに鉛筆で付けた○印の活字をたどると「きょうこちゃん 僕はきみがすきだった」と読めるのです。
早稲田大学生から学徒出陣で陸軍に入営、四四年にフィリピン海上で戦死した吉村友男氏(二十二歳)もクローチェの影響を受けていました。「クロォチェは批判ということを一番大切にしました。歴史の正しい批判を現実に活(い)かすことによって、人々が幸福になれるのだと考えていました。これは(中略)私たちの生活にも言えると思います」(「きけわだつみのこえ」から)
若者たちは「自由」「愛」「批判」などが尊重される社会を自らの命と引き換えに実現することを夢見て散華していきました。「愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです」(上原氏の「所感」)
昨年の東日本大震災は、敗戦以来の大変革期が来たことを私たちに告げました。エネルギー革命の主役だった原発が震災で制御不能に陥り「技術万能」神話が崩壊しました。少子高齢化に伴う人口構造の劇的変化は、戦後の高度成長をもたらした「三種の神器」(終身雇用、年功序列賃金、企業別労組)では乗り切れないことを教えます。国・地方の財政赤字は三年前の政権交代で減少するどころか、結局は増税で国民に付け回しという事態に直面しています。
尖閣諸島など領土問題で近隣国との緊張が高まり、打開の糸口すら見えません。最近の右傾化ムードは日本を覆う閉塞(へいそく)感の打破を狙った焦りとも受け取れます。大震災を機にもろもろの弱点や硬直した体質が一気に露呈し、政党政治が的確な対応能力を失っている状態です。今回の多党化選挙も政党政治の劣化現象の一端を映し出しています。
だが歴史が教えるように政党政治を見捨てては、もっと悲劇的になるでしょう。四〇年、斎藤隆夫氏(民政党)の反軍演説を境に各政党が軍部の前に膝を折り、解党して大政翼賛会という全体主義に突っ走った苦い経験を再現してはなりません。
◆立ち位置を考えながら
過去を振り向けば将来の予測に役立つのと同様に、五年後、十年後、二十年後の日本に自らの身を置いてみて、いま日本が立つべき位置はどこかを冷徹に考えながら投票所に向かいましょう。
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先日、わたし、書き間違えましたね。斎藤正雄(誤) 斎藤隆夫(正)
わたしも、あの議会制民主主義を守ろうと身を挺した斎藤隆夫の粛軍演説を思うのです。
わたしには小沢一郎という存在が斎藤隆夫に見える。
そういうことに鈍い反応を示し、相変わらず悪の小沢一郎にこだわって誹謗あるいは警戒する知識人の少なからずいることに
絶望感のようなものを抱かずにはいられませんでした。この三年来。
けれど、当の本人が忍耐しつつ精一杯がんばっているのに、こちらが絶望するわけにはいかない。
これから投票に行ってきます。