外国の報道まで「歴史修正」させようとする彼ら・・・Japan Times

内田樹さんの翻訳で知りました。
先日、ドイツの特派員が東京を離れるにあたって、残した記事、ありましたよね。
四月十八日にご紹介しました。
日本が、来たときには別の国になってしまったという、あの記事。
それを読んだ元英国駐日大使だった方が、Japn Times に、つよいショックを受けた、
このドイツの新聞はつねに事実の裏付けをとっているレベルの高い新聞だ、として
日本人が唯々諾々として「政治的主人」に従っていることを批判しています。


内田樹さん曰く
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ドイツの新聞に対してフランクフルト総領事が「親中国プロパガンダン」と抗議したことが、世界のジャーナリストたちに与えた衝撃を日本の外務省も日本のメディアも過小評価しているのではないか。
日本では「政治的主人たち」(political masters)に外交官もジャーナリストも学者も無批判に屈従しているのが、外から見るとどれほど異様な風景なのか、気づいていないのは日本人だけである。
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もう、ほんとに恥ずかしいですよね。
冷静かつ客観的な、理性的な報道が、ジャーナリストの使命。そんな報道を、外交官(or政治家)が
クレームつけて通じるのは、日本だけ。そんなノリで、外国メディアまでクレームつける
あつかましさ。
日本人が内向きになって、自己像がゆがんでしまっているようです。
戦中期の日本のように。


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http://blog.tatsuru.com/2015/04/15_1013.php
Japan Times の記事から「日本の厄介な歴史修正主義者たち」


日本の厄介な歴史修正主義者たち(Japan Times, 14 April)
by Hugh Cortazzi(1980-84 英国駐日大使)

日本の右翼政治家たちは海外メディアの報道を意に介さないでいる。彼らが外国人の感情に対する配慮に乏しいのは、外国人を蔑んでいるからである。
右翼政治家たちは日本をすべての面で称讃しない外国人、日本の歴史の中に暗黒面が存在することを指摘する外国人を「反日」(Japan basher)、日本の敵とみなしている。このような態度は日本の国益と評価を損なうものである。
Frankfuter Allgemaine Zeitungの特派員が東京を離れる際に寄稿した記事を海外特派員協会のジャーナルの最近刊で読んで、私はつよいショックを受けた。この新聞は職業上私も知っているが、センセーショナルな物語を掲載したことはないし、つねに事実の裏付けを取っていることでドイツでは高い評価を受けているまっとうな新聞である。


残念ながら、このケースは単独ではない。1月にはニューヨークの日本総領事がアメリカの評価の高い教育出版社であるMcGraw-Hillに対して、ふたりのアメリカ人学者が書いた「慰安婦」についての記述を削除するように要請した。出版社はこの要請を拒絶して、日本政府当局者に対して執筆者たちは事実を適切に確認していると答えた。
具体的に何人の「慰安婦」が日本帝国軍兵士のために奉仕することを強制されたのか数字を確定することは不可能だろう。だが、この忌まわしい営みが広く行われていたことについては無数の証言が存在する。売春を強要されたのは韓国人女性だけに限られない。
日本の歴史修正主義者たちは南京虐殺についても事実を受け入れることを拒絶している。この場合も、現段階では被害者の数を確定することはできない。しかし、日本人自身を含むさまざまなソースからの証言は日本軍兵士によって南京のみならず中国各地において無数の残虐な行為が行われたことを確証している。この事実を指摘する者はただ事実をそのまま述べているだけで、中国のプロパガンダに与しているわけではない。



日本の歴史修正主義者たちのふるまいは私にはナチやソ連コミュニストが駆使したオーウェル的な「ダブルスピーク」や「二重思考」を思い起こさせる。


英国の知日派の人々は「アベノミクス」と国防問題に見通しについては意見がそれぞれ違うが、日本の歴史修正主義者を擁護する人はひとりもいない。
最近の曽野綾子によるアパルトヘイト擁護の論の愚劣さは英国の日本観察者に衝撃を与えた。日本ではこのような見解が真剣に受け止められ、活字になるということがわれわれにはほとんど信じがたいのである安倍晋三首相がどうしてこのような意見の持ち主を教育政策のアドバイザーに任命することができたのか私たちには理解できない。
また、日本人の知的で教育もある人たちが『日本人論』家たちによって提出されている日本の独自性についての思想を流布しているのも、われわれ非日本人には理解しがたいことのひとつである。日本はたしかに独自な国だが、それを言えば世界中どこの国だってそれぞれに独自である。日本人は1億2千万人以上いる。全員が別の人間である。日本と日本人の性格についての一般化はせいぜい近似的なものにしかならない。




日本の外交官たちは彼らの政治的主人の要望を実行しなければならない。それゆえフランクフルトやニューヨークの総領事が本国からの指令に従って行動したということを私は理解している。しかし、それでも日本の外務省は外交官に指示を出す前に、まず彼らの政治的主人に対して、歴史的事実は恣意的に変更することはできないこと、ジャーナリストや学者に対する検閲は反対の効果をもたらしがちであることを理解させるべく努めることを私は希望するのである。
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苛烈な忠告です。
こういう苛烈な忠告を読んでも、まだへらへらしていられる日本人われわれ。
教科書検閲で抵抗しない、屈従していく学者たち。
官邸に呼びつけられて屈従、阿諛してゆくジャーナリズム。
それになれきった「政治的主人」の使い走りが外国メディアや出版社にまで文句をつけにいく
厚顔無恥


そして、振り返るに、やはりわたしも屈従している一人なのだと思います。
ネットのなかでの、こういう流布もいいが、ネットの中だけで完結してしまいます。
意外とみんなネットは見てない。
大手メディアのながす情報を信じきっています。
小さな努力をしなければいけないのでしょうね。


ついでに、内田樹さんの「旦那芸について」もとてもいい記事でした。
http://blog.tatsuru.com/2015/04/27_1302.php