経験の検証

 どういうわけか、私たちは<経験の検証>ということが下手だ。<経験>の意味を知の光のもとに考え通す、ということをする人はまれである。そのぶんあたりの情勢には敏感であり、目先にちらちらするものに賛否両論となえつつ一斉になだれ込んでゆきがちでもある。こういうところに抵抗する主体など立ち上がるわけはないから、御しやすいといえば、これほど御しやすい相手もあるまい。


 わたしが<経験の検証>というのは、歌壇のしかるべき歌人によってなされる近現代短歌を振り返るといった雑誌特集のようなものをいうのではない。一人一人の<経験>においてなされる<検証>をいうのである。つまり、今ここに存在しているものは、同時に別の存在であることはできない。行為をなせば、必ず行為を受けるものがある。誰もが、その存在と行為において、それぞれ特殊な<経験>を積み重ねているものだが、それをそのまま肯定するのではなく、とりわけそこにおける欠落した経験を意識しつつ、自ら再組織化していく働きが<検証>である。発語する主体はそこにおいて生まれる。


 私たちは<経験の検証>ということが不得手の上にもってきて、いわゆる〃何でもあり〃世代出現以後、誰も彼もがそれぞれの<経験>を口々に肯定主張するばかり、他者の経験(発語)を自己の経験に繰り込むという力さえ衰弱させてしまった。若い人々は、先人の模倣などということはもうしない。たとえあっても、それは自己の趣味の主張にすぎない。自己の存在と行為がいかに高値で流通するかだけが第一関心事というわけだ。彼らは彼らでいいとしても、この二十世紀末の私たちの言葉がへたってぺらぺらになってしまっているということは、疑いもない。


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 戦後生まれの私は、歌を作るようになって初めて、日本語の美しさというものを理解した。歌は、日本語の中枢神経といっていいようにさえ思う。わたしが歌を作り続けることに価値を覚えるのは、言語芸術であるからだ。それも、人々の日々の生活にとって意味がある言語芸術だからだ この「日本語の美しさ」「日本語の中枢神経としての歌」という手応えは、〃愛国心〃などからは決して得られないだろう。そう、確信する。〃愛国心〃は、日本語のあるいは歌の美しさへの感受をむしろ観念化し、概念化し、硬直化するだろう。言葉は言葉によってしか、蘇生しない。発語する主体を得た言葉によってしか、蘇生しない。

 その上、「愛国」という語には、自国を愛するというのとは異なる、何か背筋のぞわっとする違和感がある。


 寺崎英成が録した『昭和天皇独白録』を読むと、ポツダム宣言受諾にあたって昭和天皇の何より気がかりであったのは「国体の護持」であり、これができなければ戦争継続するつもりであったと明言している。それほど大切な「国体の護持」とは、敵が伊勢湾付近に上陸すれば、神器の移動の余裕はなく、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思つたとあって、どうやら伊勢神宮三種の神器をいうのらしい。まるでアニメの世界ではないか。そんなばかな、と、「国体」ということが長い間つかめなかったが、このぞわっとした感触が「国体」か。「国家」とも「国体」ともつかぬまま、戦後日本の<経験の検証>を曖昧にした成果によって、今頃「国体」の亡霊が右翼でもない若者に跳梁し始めているというわけなのだろう。



  銃をむけ射たば悉く死ぬらむか河べをまばらにくだりゆく民      香川進


  山かべの道を外れゆきけし畑にわれがみる素朴衝動のあと        同



 昭和二四年『短歌研究』七月号発表の歌。侵略者と被侵略者の明確な構図。神のごとくに生殺与奪の権を握った侵略者としての経験を、このように採り出した歌はまれだ。「素朴衝動のあと」とは、陵辱された屍だろう。しかし、これらは作品合評で散々なる技術批評の的となり、香川自身、侵略者としての<経験の検証>を萎えさせていく。


 被侵略者としての経験を欠落させている者が、被侵略者から問い詰められてする謝罪は、確かに偽善の匂いがする。しかし一方、その欠落に居直った無知や隠蔽は、必ず発語する主体の抑圧と圧殺とにつながっていくのである。



                                         (短歌新聞2000?)