文字を目で聴く

 短歌を少しやると、文語脈での新仮名遣いはどうも具合が悪いということにすぐ気づく。


 「出(い)づ」は新仮名遣いだと「出ず」となるが、「出(で)ず」と紛らわしいのでこれのみは「出づ」とする――なんていう新仮名短歌のルールを教えられるが、そんないい加減な、と誰でも思うことだろう。


 戦後のある時期、「これからの短歌は新仮名表記でなければ誰も読んでくれなくなる」と、新仮名遣いを規約にした結社がだいぶあった。ところが、それを掲げた世代が、いつのまにか旧仮名遣いに戻っていく。一方、若い世代は、何のこだわりもなく、エキゾチシズムのような感覚で旧仮名遣いを選択する。


 旧仮名遣いの短歌は、結句に来る「言ふ」「思ふ」の「ふ」、「をり」の「を」、促音の「つ」など、それだけで歌が数等うまく見えるような気がして、羨ましくなることもしばしばあった。


 あるとき、親切にも見知らぬ方が福田恆存の『私の國語教室』という文庫本を送ってくださった。新仮名遣いがどんなにずさんな表記法であるか、ということを、説得力をもってわかりやすく書いたもので、読まされればなるほどと思う。


 それでも、である。自分の生まれる場所や時代を選ぶことはできないではないか。どんなに不自由な時代に生まれあわせたからといって、タイム・マシンに乗るわけにもいかない。否応なしに、時代の刻印を身に受けて生きていくよりほかないのだ。いいかげんな、いびつな新仮名表記法でも、わたしたちはすでに新聞だって本だって、それで読み、文章もそれで書いて、生い立った。


 文語脈の短歌に新仮名遣いの不合理は重々感じるけれども、そして旧仮名遣いの魅惑も感じないではいられないけれども、簡単に上着をとっかえるような気分では変えられない。どっちの規則に従うかとか、表記法として合理的かどうかとか、歴史的に見て妥当だとか、そんな外側から来る理由で、わたしは表記法を変えることができなかった。変えたくは、なかった。


 一九九四年刊行の歌集『宇宙舞踏』で初めて、旧仮名遣いで歌を発表した。さんざん迷ったのである。一度は新仮名遣いで全部を清書してみた。あとがきには「このたびの歌集を旧仮名で統一する誘惑には、ついに逆らえなかった」と書いたが、それでよかったのかどうか、まったく自信がなかった。とにかく一度やってみようと、野蛮な勇気を出したのである。


 そのあとも、長いあいだ、旧仮名遣いにしてしまうことができなかった。なぜ、旧仮名なのか。どこかしら、ぎくしゃくしていた。わたしにとって、それは表記のルールを切り替えるという問題ではなく、歌をどう考えるか、という問題でもあったのだろう。


 このたびの歌集『巌のちから』は、初めから旧仮名遣いで発想したものが多い。ようやく、歌の案出の段階から旧仮名遣いになったようにも感じられる。「慣れ」の問題ではない。自分自身のなかで歌というものについての了解が幾分ついてきた、ということだと思う。


 歌というものは、そもそも書記言語によって実現されるところの文字文化である。万葉集の時代からそうだった。文字あってこそ、短歌は五七五七七という定型に固定した。和歌は、仮名文字の発生と切っても切れない関係のあることはよくいわれることである。


 近代の短歌は、漢字・仮名・片仮名ときには横文字をもまじえた活字による印刷と切り離せない。言文一致をすすめたはての新仮名遣いが伝達面での効率をはかるに対して、旧仮名遣いは、目で撫でて楽しむという文字の物質的側面を強調し、その形態面でも安定感において勝る。一般には見慣れない文字遣いであっても、適度であればその抵抗はこころよい。


 わたしたちはすでに、「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」、「お」と「を」の発音をわけることはできない。しかし、その形態から違いを認識している。「おとめ」と「をとめ」とでは、やはり違うと感じる。さらに、「思ふ」はオモフ、「うへ」はウヘ、「やうやく」はヤウヤクと、その文字のおもかげを脳内発語している。声に出せば、「思ふ」はオモウ、「やうやく」はヨーヤクでしかないが、目はオモフ、ヤウヤクの響きの残像を追っているのである。


 伝達の効率を尊ぶとき、現代ではすでにどうしたって新仮名遣いだろう。しかし、歌とは、ゆっくり一字一字を目で撫でてはその響きや香りを聴いて楽しむものだとすれば、旧仮名遣いをいまは選びたい。



                                 (『短歌』2007.11)