班忠義著『ガイサンシーとその姉妹たち』梨の木舎、2006.9

この二月半ば、「ガイサンシーとその姉妹たち」という映画の上映会があった。班忠義監督に元日本兵と熊谷博子監督をまじえたシンポジウムもあるというので、雨の中を出かけた。本書は、その会場の前に積み上げて販売されていた。
映画を見たのでもうじゅうぶんだという気持と、「従軍慰安婦」もののルポルタージュももうたくさんかな、という気持が過ぎって、そのときはこの本を買わなかった。


映画はとても静かなものである。班忠義監督のナレーションと、数々の証言によってたんたんと進められる。ガイサンシー(蓋山西)とは、山西省一の美人という意味だ。日中戦争の頃、山西省北部の奥地に駐屯した日本軍は、中国人協力者に命じて、このガイサンシーと呼ばれた若妻をはじめ何人もの少女を強制連行し、陵辱した。ガイサンシーは、少女たちをかばって身代わりになることもしばしばだったという。ついに気を失って戸板に運ばれ、村に連れて帰られた。医者にも見放され、母親が腹を麺棒でのしたら、洗面器いっぱいの精液が流れ出た。


村人たちの証言を聞きながら、わたしは「性奴隷」という言葉を思った。慰安婦なんぞではない。二〇〇〇年の国際女性法廷のフィルムで「性奴隷」という言葉を聞いて、少し偏った言い方では、と思ったことがあったが、そうではなかった。


ガイサンシーがしばしば身代わりになったという映画のナレーションに(けっこうそういうことが好きだったのじゃないの)と疑ったことも告白しておく。それが洗面器いっぱい溜まるほどの行為であったことを知ってはじめて了解した。身に鈍痛のようなものを覚えた。


しかも、この本を読んで、それがたった十日か二週間ばかりのあいだのことであったと知った。ガイサンシーには幼い子供があって、泣き叫ぶ子供の名を呼びながら、逆さまにかつがれ、引きずられて山道を連行されたことも知った。


映画に登場する同じように強制連行された女性が、年老いて、どのような境遇にあるのか、どのような後遺症をかかえてきたのか、それも知った。ヤオトンという洞窟のようなところに今でも住んでいるらしいが、画面ではその貧困の程度は、じつはそれほど身にしみない。班忠義の筆によってはじめて、そういう女性たちが心身に後遺症をかかえ、まともな生活ができず、貧困のために治療もできないでいることが切実につたわってくる。


また、この寡黙な映画は、日本軍に犯された女性たちが戦後の村なかでどのように見られてきたかということも、直接には語らない。ただ、一カ所、村の男が猥談でもするときのような笑いを浮かべて「アレが洗面器いっぱいあったってさ」と言った、そのときの顔をわたしは忘れられなかった。


この本には、その戦後の困難をもつぶさに書く。ガイサンシーは村で孤独であったこと、誰もまともに話す人がいなかったこと、日本軍に犯された汚い女として嫌われ、疎まれたこと。日本に抗議に行くという最後の希望も断たれて、ぼろ雑巾のようになって、自殺したことも――。


ネットを開くと、この映画がいかにもプロパガンダであるかのように書いたブログもあるが、班忠義はこの女性たちの証言が事実であるかどうか、隊長の名や曹長のあだ名などからその実在を確かめ、丁寧な調査を行っている。また、元日本兵に向き合っているときにも、人間としての共感を根底におく。そのおだやかな、ものごとを即断しない、しかも理の通った筆づかいは、センセーショナルに人の心を煽らない。


人間も、世の中も、一面的ではありえない。山西省北部で女たちを「性奴隷」として陵辱した隊長らの属する独立混成第四旅団は、敗戦直前沖縄に異動し、全滅した。その沖縄戦の数少ない生き残りが二月のシンポジウムの元日本兵近藤一さんだった。


本書のインタビューだけを読んでも、軍隊での見聞や体験は一様ではないことがわかる。しかしながら、生体解剖をした元軍医も、輪姦をしたことのある元日本兵近藤さんも、共通して言う。そのとき、何の感情も起らなかったというのである。



                                                      (熊日新聞2007.4)



【のちの記】ある大学で上映会があったということを知りましたので、昨年書いたものを引き出してみました。映画とともに、この本をぜひおすすめします。映画のナレーションを聞きながら、ふと過ぎった思い、われながら恥ずかしい。こんなことをあえて活字にしなくてもよかったのですが、たぶん同じように内心疑う人がいるのではないかと思い、また自分の浅はかさをあえて記して戒めとし、忘れないようにしようとも思いました。・・・ったく、ほんとに。。。申し訳ない。。