坂口弘歌集『常しへの道』角川書店、2007.11
朝日歌壇に、かの連合赤軍あさま山荘事件の坂口弘が投稿していると聞いたことがあった。歌稿集が出たという話も聞いたが、読みたいとは思わなかった。○○の、と銘打った歌集は、ほぼ例外なく冠の部分がものを言うのであって、歌を読ませるものではないからである。
昨年十一月出版されたこの歌集も読むつもりはなかったが、たまたま書評に引用されている歌を見た。
榛名山の林のなかの
片流れ造りの小屋にて
リンチをなしき
「片流れ造りの小屋」という語に目がとまった。「片流れ造り」とは初めて目にする言葉だったが、たちまち崖つきの小屋の、急傾斜の片屋根が見えてきた。雪を積んだ静寂のなかに、片屋根がいっさいを包みこんでいる。「片」という語が、その屋根の下にうごめいた者たちの思考行動の偏頗(へんぱ)さを呼び起こしさえする。
雪国では「片流れ造り」という建築用語は、それほど珍しいものではないのかも知れない。しかし、なかなかこのようには歌に出ない語であることを、わたしは知っている。よく見つけ出してきたなと思うと同時に、言葉の鍛錬のあとを感じた。
そうして歌集題を見ると『常(とこ)しへの道』と「へ」になっている。革命を叫んだ、わたしとほぼ同世代の坂口弘が、どういう思いで歌を旧かなで作っているのだろう。歌集を開いてみたいと思った。
胸に響く歌があった。
清楚(せいそ)なるフリージアにして
果つるいま
強き香りを苦しげに吐く
死刑ゆゑに
澄める心になるといふ
そこまでせねば澄めぬか人は
犯したる罪深ければ
昼の星
映せる井戸のやうな眼となれ
朝日すつと壁に映りて伸びゆけり
花開くよと
房に見てをり
払ひのけ払ひのけつつ
蜘蛛(くも)の巣の多き山下る
夢に疲れぬ
三行書き表記にも現われているように、積極的な啄木摂取については、解説の佐佐木幸綱が記している。歌を作るきっかけが西行の「命なりけり佐夜の中山」であり、始め西行を手本にして勉強したという。歌の旧かなは、ごく自然になじんだものかもしれない。
坂口弘が、この集をもって、本物の「短歌作者」として出発するのだと、どれほど気負い、一冊を編むに努力したか、巻をひらくやすぐにわかる。「われは大罪を犯せし身にて極刑の判決を三度下され(略)生きながらにして不帰の門をくぐりたりけり」という見開き二頁の、ダンテの神曲地獄篇を思わせる文語文による序があり、はたして最初の章は「ダンテ」であった。しかも、死刑執行問題が主にうたわれる。
わたしは国家の死刑執行にとくに賛成するものではないし、坂口弘が執行されればよいとも思わない。しかし、例えば「手放しでわれの確定をよろこべる佐々淳行(さつさあつゆき)なる男ありしかな」「誰しもが死刑になるとは思はぬゆゑ死刑存置はつねに多数派」のようなものを読むとき、歌として違和を覚えないではいられなかった。
ひとり作歌に努めることも、死刑廃絶を訴えることも、一切の外部交流が断たれ、隔絶された世界に置かれた坂口弘にとっては、いくばくでも社会に寄与することで社会的生存を確認したいという、やむにやまれぬ切実な欲求から出ているのであろう。それは痛いほどわかる。
しかし、大仰なのは、歌に良くない。何でもことごとしいのは良くない。もともと短歌作者など、世の中の役に立つものではない。良き歌をひっそりと作り続けて、知られず死んでゆく者がどれほどあったか。
房のすみに咲く露草のような歌集を、次に見る機会のあらんことを。
(熊日新聞2008.2.3)
【のちの記】一昨日だったか、九四歳になる坂口弘の母親が記事になっていた。毎月一回、刑務所に通いつづけているという。大いなる試練に遭遇したこの母親の愛情を思う。この愛情は、人間としての意志の力によるものだ。母親のみならず、父親でも、兄弟でも、他人同士でも実現可能な、信の力を根底にもった愛情だ。
九四歳の写真を見ながら、そんなことを思った。
坂口弘の歌集評では、字数の関係でうまく言えなかったが、彼がこの歌という創作物によって社会に寄与したいと、どれほど大真面目に切望しているか、痛いほどわかった。それによって、彼は、自分がいまだ社会的に生存していることを確認したいのだ。
死刑囚は、社会との交流を断絶させられることによって、肉体の死の前に、社会的な死を迎えさせられるのであり、それがどれほどの苦痛をもたらすかということを、わたしは知った。
また、つねに監視の視線にさらされている膚身の苦痛も、知った。
しかしながら、文字通り孤独な歌の「修行」を続けなければならない状況下では無理もないとも思うけれども、遠近感を失した(しかも真摯な)坂口弘の歌にかける大仰な言葉を読むと、「歌って、そんなたいそうなものではないんですよ・・・」と、つぶやきたくなるのであった。
この"英雄主義"こそがあの凄惨なリンチへと導いた因ではなかっただろうかと、ふと思われた。