八月の靖国とモノ作りの手・・・映画『靖国』

この春問題になった、くだんの映画『靖国』を見た。優れた、ふところの深い映画である。


冒頭、袴をはいた老人が刀の鞘を払い、真上から刀剣を振りおろす。空を切る風の音――ひやりとする。そのとき、中国人にとって「あの戦争」の記憶は、真上から振りおろされる日本刀であることを理解した。


昨今、戦時中、農民や無抵抗の捕虜を斬首したという証言を見ないではないが、「百人斬り競争」の当時の新聞記事を見たときには目を疑った。南京攻略時、二人の日本軍将校がどちらが早く日本刀で百人斬るかを競ったというもので、実況中継する記事はまるでスポーツ報道のノリである。これは、中国人であれば誰もが知っている話らしい。


ところが、そもそも日本刀はすぐに刃こぼれするので百人も斬れないとして事実無根ともされ、将校の遺族によって名誉毀損の訴訟が起こされた。
裁判は二〇〇五年原告請求を棄却、最高裁で敗訴が確定したが、その遺族側弁護士が、『靖国』公開前に試写会を要求した稲田朋美衆議院議員である。


昭和八年から終戦まで、靖国神社の境内で“靖国刀”と呼ばれる八千百振りの軍刀が作られ、将校たちに下げ渡された。冒頭の太刀を振る老人は、今も”靖国刀”を作り続けている現役最後の靖国刀刈谷直治さんである。
李纓(リ・イン)監督は口ごもるようにたどたどしく、日本刀は本当に戦場で役に立ったのか、と問う。刈谷さんは、言いよどむ。すぐに刃こぼれするというがとさらに問うと、「刀はそんなことがあっちゃいかんです」と断言した。


「百人斬り競争」が捏造記事でないことを傍証する言葉だが、映画の視線はそれよりも、刈谷さんの職人としての誇りに共鳴するかのようであった。映画冒頭で、鉄の粉に黒くまみれ、火ぶくれになめされた、老いた手が映し出される。
映画『靖国』は、このモノ作りの手に対する尊敬としずかな共感のものがたりであるといってもよいのである。


神棚に榊をあげて柏手をうち、炉から真っ赤に焼けた鉄の塊を取り出す。二つに折って叩き、ふいごを押し、火花の飛び散る炉に入れ、幾つもの工程を経て一振りの刀剣が打ち出されていく映像が、靖国神社の見せるさまざまな表情の間に差し挟まれてゆく。


八月の靖国はにぎやかである。
日の丸の旗を掲げて英霊に哀悼をささげる右翼。愛国精神を訴える右翼。軍服を着た「コスプレ」隊の行進。「小泉首相を応援します」と書いた札を手にもって、星条旗をかかげるアメリカ人。それから、これは冬の場面であったが、合祀取り下げを要求する浄土真宗の僧侶、婦人、台湾原住民。政治団体の集会。靖国参拝反対を唱えてなだれこむ若者二人。ものに憑かれたように「中国に帰れ、中国に」と怒鳴りながら執拗に追い立てる者。


八月の靖国は、じぐじぐと液が滲み出て治りきらない、日本という国の傷痕のようだ。


ここでは「侵略戦争」と口に発する者は、大東亜戦争大義を理解せず、英霊を侮辱し、愛国心がないということになる。国土を蹂躙された側の記憶は痛ましいものだが、それを思いやる余裕さえもてない蹂躙して敗北した側の、このいまだに疼く傷痕も無残なものではあるまいか。


愛国心」をかきたてて戦争は始まり、「平和」と「正義」を掲げて戦争は始まる。わたしたちは二十一世紀が始まってからの戦争でもそれを眼前にしたばかりである。


靖国』の李纓監督は、未来をこの九十歳の刀匠に預けるのである。確かに刀匠の作り出した日本刀は、中国人にとって忌まわしい記憶だが、その刀剣を作り出す一つ一つの工程には文化が籠もっていた。


具体的なモノを作り出す手と、それを通じてあらわれる思想だけが、異なる立場・対立する立場にあるものを融和させる。映画はそう伝えてくれる。



                                 (熊日新聞2008.8.11シリーズ想「愛国心のカタチ」中)