戦争の愉楽・・・井上俊夫著『初めて人を殺す 老日本兵の戦争論』(岩波文庫)

 戦争の悲惨さについては、しばしば聞かされてきた。わたしたちは映像や活字やさまざまなかたちで見、聞き、このような戦争を再び繰り返してはならないと知っている。だが、これらはすべて、被害者の視点からする反戦平和の弁ではなかったか。


 戦争には、じつは愉楽もあった。かつて日中戦争に出征し、詩人でもある井上俊夫が、この書に一老兵として語り出すのは、その愉楽である。


「頭ァ、右ィ!」という中隊長の号令一下、「われら年若き兵士が一斉に注目する光輝ある軍旗の遙か彼方に、白馬にまたがった大元帥陛下の幻影がおわしまし、われらは生きて再び内地の土は踏むまいと誓い合ったのだった。ああ、あの時のオルガスムスに似た陶酔感」。だからこそ、敗戦後の昭和天皇の言動は赦しがたい裏切りとなる。


 本書冒頭の散文詩とも言うべき「日中戦争で戦死した大阪生まれの英霊の声」では、二十一歳で出血多量で戦死した英霊が、臨終の床で老いた天皇がおびただしい輸血を続けながら延命しているさまを「まことにあさましい限りでおます」と、大阪弁でつぶやく。靖国神社に祀られた二百三十三万九千九百六十柱一同は、「頭ァ、右ィ!」の大号令の下「一斉に天皇をお恨み申上げたのでおます」と告白し、死後もなお軍務から解き放たれない苦痛を訴える。肺腑を突く「天皇の戦争責任論」「靖国神社批判」だ。


 かつて軍服を着せられ、小銃・弾薬・帯剣をもたされ、輸送船で戦場に向う兵士たちは、高揚感につつまれていた。制服は人間を画一化するけれども、一方「何か目に見えない大きなもの(それは大日本帝国とか日本陸軍といったものかもしれない)に、しっかと抱きとめられているような安堵感」があり、異国のどんな場所にいってもこわくないと感ずるようになるという。軍服や武器は別個の人格を醸成し、「俺は強いオトコに変身できた」という異常なまでの自負心がわき上がって来る。そして、口伝えに囁かれた「毛色の違った女が抱ける」期待に胸をはずませる。


 初年兵訓練の総仕上げには、夜中にたたき起こされ、「ワタシ、コロス、イケナイ!」と片言の日本語で叫ぶ中国人捕虜を、銃剣で突くよう総勢二十三名に命令が下る。このとき若き初年兵井上俊夫は、えらいことになった、自分も人殺しをやらなければならないと思いつつ「しかし、これも俺が男らしい男になるための試練」だ、こんな経験を積む機会はめったにない、と信じて突進するのである。


 収容所から随時払い下げられ配給された中国人捕虜を使って、初年兵教育の仕上げには刺殺訓練が、見習士官には軍刀による斬首訓練が、組織的に行われ、上官将校のなかにはその惨殺場面に性的な愉楽を覚える者さえいた。「怖ろしいことだが、兵士は一度残虐行為がもたらす愉楽を覚えてしまうと、もう病みつきになり何度でもやりたくなってくるのだ。殺人だけではない、略奪然り、放火然り、強姦然りである」。


 しかも、彼らは徹頭徹尾「日本人として善良な市民」であった。井上俊夫は、戦場で狂気に陥ったなどという解釈を、全面的に否定する。それが証拠に、上官に殺傷などの暴行に及んだ者はほとんどいなかった。軍規はしっかり守られたのである。


 現代のわたしたちには、楽しいことや気持のいいことは「良いこと」で、悲惨なことは「悪いこと」、このような価値観が浸透している。戦争は悲惨だから、悪い。そういう側面も確かにある。しかし、戦争や軍隊は、「男として一人前」に仕上げてくれ、加害行為は性的なまでに快感をもたらすものでもあった。


 従軍兵士たちの誰もが感じ、誰もが知りながら、一様に口をつぐんできたこと、加害行為にひそむ悦楽。その悦楽愉楽を直視して、なおかつ湧きのぼってくる戦争忌避の感情と論理とはどのようなものなのか。


 軍隊生活と戦場での辛苦を乗り越えて「男として」一人前になれたという自負心、それと「人間として」一人前になるということとの違いはどこにあるのか。



                                (熊日新聞阿木津英が読む」2005.5)