「文学魂」と、いまの世の中。

「文学魂」という文章については、いろいろ反響をいただいています。


古い友人からは、そのとおりだけれど「しかし、現在の日本社会は過去から全く変貌し、社会自体にも人間自体にも価値観に狂いが生じてしまっており、自分自身の有する価値観を活かしつつ生き抜いていくことは、非常に難しくなっているのが実感です。」というコメントをいただきました。会社づとめをしながら、痛切に感じているところからのコメントです。


わたしは、短歌を作る人々のあいだでしか生きてきていませんが、まったく同じことを思います。十年くらい前には、かげで「あんなものがいいのかねぇ。」と頭をひねる言葉を何度も聞いたものですが、この頃はそういう声さえ聞くこともまれになりました。


「あんなものがいいのかねぇ。」という自分の感覚があるなら、どうしてそれを発言しないのだろうと、ほんとに不思議に思ったものです。「あんなもの」が良いのか悪いのか、それはじつはわからないことだ。長い時間が経ってみないと、わからないことなのです。


しかし、ここに「あんなものがいいのかねぇ。」という感覚があるということは、歴然とした事実です。それをきちんと披瀝することは、むしろ「あんなもの」を鍛えてゆくことになります。また発言することによって、こちらの「いいのかねぇ」も、鍛えられます。


この二十年ほどは、いわゆる若者文化がメディアの力によって「主流」とされてきました。短歌の世界、そしてたぶん文学の世界では。
それなのに、今の若者たちの、まるでかげろうのような、存在のおぼつかなさ、はかなさは、いったいどうしたことでしょう。
わたしは、大学生と接する機会がありますが、かれらの発声のたよりなさ、かれらの書く文字の筆圧のなさ、うつむきかげんの背筋に力の入らない姿勢、そういったものに驚くような思いをすることがあります。
かれらには、生きてゆく意味といったものが見出せないのです。


もてはやされた若者文化、すなわち「あんなもの」が、〈害毒〉を流したのではありません。


「いいのかねぇ」という言葉を、時の勢いのかげで呑み込んだ、おとなのずるさ、もしかしたらいかにも日本人らしい事なかれ主義、自分だけは厳しい風にあたらずにすまそうとする処世術、あわよくば自分もおこぼれにあずかりたいという、そんなおとなの卑屈さが、むしろここまで若者たちの生きてゆく意味をうばったのです。


昨日、ある歌人の方から、あなたの歌集も読んでいるが「非常にストイックに生きていらっしゃるようで」というお葉書をいただきました。


ちっとも「ストイック」なんかではありません。自分の感覚を正直に発言しているだけ、ですから。
それからまた、若いこころに「ああ、いいなあ」と感じたことを自分でも実現してゆきたいと思っているだけですから。


「ああ、いいなあ」と感じたことは、思い返せば、それは物の道理ということにかなったことばかりです。人間が生きていくうえでの。


なかなかそれが簡単なことではないことはわかっているが、それでも何とかあるとき若いひとが「ああ、いいなあ」と感じてくれるように生きたい。
ささやかな生ではあるが、そういう手渡しの一つくらいしてゆかないで、いったい何の生きた意味があるというのでしょう。


自分の感覚をごまかさないようにして生きる。それだけは、わたしはこころがけてきたつもりです。いまではそれが、「非常にストイックに生きて」いる、と受け取られる世の中になってしまいました。道理というものが通じにくい世の中になってしまいました。


しかし、「社会自体にも人間自体にも価値観に狂いが生じてしまっ」た時代は、別にいまに限ったことではありません。日本では、あの戦争の時代、昭和十年代のひとびとのありようをのぞけばすぐにわかります。あれだって、少しずつ狂っていったのでしょう。
斎藤隆夫という国会議員が物の道理を説く大演説をしたことは有名ですが、昭和十五年でしたか、二回目の大演説のときには、そのことによって逆に国会議員を辞めさせられました。道理が通らないということを、人々は見せつけられたわけです。


それに比べれば、いまはそうひどくはないでしょう。
希望はたくさん残されています。


「自分の感覚」というものは、じつはずいぶん頼りにならない。磁石の針のように、いつもふらふらしています。しかし、わたしたちの生きていく羅針盤はこれしかありません。


「自分の感覚」がまちがっていることもありましょうが、それは、発言してのち初めてわかること。言葉に出さなければ、おのれの間違いも発見できません。


いまの世の中はひどい、という慨嘆をしておわるのではなく、ごく日常の細部で感じる違和を正直に勇気をもって言葉にしてみること。そこからしか何も始まらないような気がします。


                                    2008.12.5