こうして、テレビは編集する・・・あるディレクターのtwitter

自己紹介は、こんな方。文字の横についている記号みたいなのはなんだろう????
この方が、テレビ番組の作り方をtweetしている。
じつに、参考になります。

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⡜吉田   ㅒ櫛ニ└ᚙ
┝テレビの制作者・演出家。過去の作品「外国人研修生の悲劇」「民主党の経済政策の検証」
「原爆の図はいま」「ああおもしろ虫のこえ」「おじいちゃん死んじゃった」「学校に戻りたい 
ガザの子供たちはいま」「時のかたみ」「日本音楽のある風景」番組『ピタゴラスイッチ
『シャキꀦーン』ほか ┘╂

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テレ朝は視聴率の為には手段を選ばない。私は内部にいたので再三思うのだがテレ朝報道、
情報は視聴率の為に容赦のない編集を行う。制作側は出演者が「全く発言したそのまま」
のようにスタジオで時間が継続していたかのようにを行う。だが実は完全に編集している。
簡単に言うとQとAが論理的にずらす。


テレビタックル。番組はスタジオで生議論のように一見見える。がちょうどあるひとの
発言が1Sに抜く時に編集している。つまり前段の議論が完全にカットされる。QとAを編集上
完全にずらす。だが視聴者は一見気がつかない。私達が見ると、その「生議論」の「つなぎ」
を局側が何フレームか切っている。


映像というのは1秒間に30枚の静止画が重なって「1秒間の映像」になる。テレビと
いうのは収録番組(編集あり)の場合、この「1秒間のうち30枚」を操作する編集
作業を行う。編集によって、発言者の発言内容と意図と全く異なる内容にすることは
できる。その編集の影響に視聴者は全く気がつかない。


恐らく出演した本人も気がつかないだろう


テレビの30fs/1秒間のフレーム処理というのはそういうものである


なぜ私はそこまで断言出来るか。そうやってたやつがいたからだ。
(阿木津・・この一行をわたしは削除しようかと思った。この「三十枚分の一」くらいの一行の
有り無しで、全体の意味が変わる。ここを削除して読んでみてください。
編集とは、こういうことですね。)



編集作業というのは、数十年のキャリアのあるテレビマン(ディレクター)がまず
ざっくり編集する。その後数回の試写を重ねる。その編集作業は実に巧みだ。強調
する言葉のテロップ、色やフォント調整。「県民感情より政治主導を」のように、
発言はテロップ上単純化した情緒的な二元論へと再解釈する。


つまり「県民感情」の定義、「政治」の定義、「政治主導」の定義を編集上カット
する。Q(質問者)&A(回答者)の流れをカットする。その場合「情緒的なキー
ワード(県民感情無視しろ)」と聞こえるように組み替える。「何でも言って
くれる」常駐評論家の意見は自由自在に「前後」に切り貼りする


テレビはテレビ「ビジネス」である。したがって「合目的」にテレビの露悪的な現実は
存在する。なぜある番組が数十年人気を博すか。その人気を支える臨場感を毎回「創作」
する技術があれば可能とある。編集そして「なんでも言ってくれる」評論家、出演者の
反対意見を常にいう人を使うと番組は安定する。


テレビタックルの「何でも言ってくれる人」は「森永卓郎」。私もそのような「トップ
リストの人々」をある番組のチーフディレクターにすすめられた。が、番組は「何でも
言ってくれる人」を何よりも重宝している。なぜ重宝するか。企画上「構成した通り」の
流れで情緒的な番組の落ちを創作できるからだ


「なんでもいってくれる」人を使うことで、番組に説得力が生まれる。テレビにとっては
ありがたい。予定調和的に何でも話してくれる人は「カリスマ評論家」だと誰もが信じて
しまう。テレビは時代の空気と安定感を出すことが大事だと反論するのだろうか。